旅行会社から職人の世界へ。両面染めを生んだ竹野染工・寺田尚志社長の“未経験から挑む働き方戦略”

まったく別の業界から、新しい世界に飛び込む。
頭では想像できても、いざ自分がその立場になると、一歩を踏み出すのは簡単ではありません。
今回お話を伺った竹野染工株式会社の寺田尚志(てらだ ひさし)社長も、旅行会社で働いたあと、家業である染め物の工場へと大きくキャリアを切り替えた一人です。未経験から現場に入り、技術を学びながら若い職人たちとともにものづくりを磨き、社内独自の両面染め加工にも挑戦してきました。
新しい環境でも、誠実さと積み重ねで道をつくる。寺田社長の歩みから、そんなキャリアの作り方が見えてきます。
竹野染工株式会社
寺田 尚志 代表取締役
大学卒業後、旅行会社で約3年勤務。先代である叔父の急逝をきっかけに家業へ戻り、まったくの未経験から染めの技術を学び始める。江戸時代から和晒産業が盛んであった大阪・堺市にて、職人の世界で信頼を積み重ねながら、若い職人たちと現場をつくり、社内独自の両面染め加工にも挑戦。現在は、社内で根づく手しごとの強みを生かしながら、商品企画や発信方法の見直しにも取り組むなど、届け方の幅を広げる挑戦も進行中。国内外への展開や、若い世代が働きやすい環境づくりを視野に、ものづくりの未来を次の時代へつなぐ役割を担っている。
旅行会社から家業の染め物工場へ飛び込んだ理由

編集部寺田社長は、もともと旅行会社で働かれていて、そこから、まったく違う染め物の世界に入られたんですよね。



はい。旅行が好きだったので、素直にその道を選んで旅行会社で働いていましたが、僕のおじさんにあたる二代目社長が突然亡くなって、後を継ぐ人がいなくなりました。身内もみんな寂しそうで、「自分がやるしかない」と…。



かなり大きな決断ですよね。ちなみに、旅行会社のお仕事は何年くらい続けておられたんですか。



大学卒業してから3年ほどですね。そのキャリアを途中で手放して、まったく知らない職人の世界に飛び込んだ形になります。



20代での「思い切った方向転換」だったわけですね。仕事の内容も、使う言葉もガラッと変わったのではないでしょうか。



そうですね。旅行会社では、お客様に楽しんでもらうための企画や接客が中心でした。でも家業は職人の仕事がメインです。ものづくりの現場の空気も、求められる姿勢も、ぜんぜん違いました。



未経験の業界に飛び込むのは、多くの20代が悩むところです。ただ、社長のお話を聞いていると、「家族やまわりの人のために動く」という視点が、仕事選びの大きな軸になっていると感じます。これは、どんな仕事でも評価される姿勢だと感じました。
職人の輪に入った新人社長が、学び続けた日々で見えたもの



実際に家業へ入ってみて、最初に戸惑ったのはどんな点でしたか?



一番は、僕にまったく技術がなかったことです。職人の会社なので、みんな手に職がある。そんな中で、急に「後継ぎです」と入ってきた自分の言うことを、誰も聞いてくれないこともありました。



うーん。御社に限らずだとは思うのですが、いきなり「社長の親族が来たから、今日から上司です」と言われたら、現場は戸惑ってしまうのかもしれませんね…。



僕のほうも、どう接していいかわからないという課題がありました。初めは、コミュニケーションの土台づくりからつまずいてしまって。「これはあかんな」と思って、まず自分が一人前の職人にならないといけないと感じたんです。



経営者という前に、「現場の一員になる」ことを選ばれたわけですね。



はい。染め物の現場で汗をかいて、失敗もして、少しずつ信頼を積み上げるしかありませんでした。言葉だけで説得しようとしてもうまくいかない。背中を見せないと、誰もついてきてくれないんだと痛感しました。



背中を見せる。その考え方、すごく素敵だと思います…!



技術がないからダメ、ではなくて、「ないなら学び続けたらいい」という感覚でやってきましたね。
両面染めの独自加工に挑んだ3年間



そこから数年たって、社内のコミュニケーションも落ち着いてきたころに、新しい技術にも挑戦されたとうかがっています。



はい。うちの業界は「斜陽産業」と言われることも多いんです。進化せずに昔のやり方のままでいた会社は、どんどん廃業や倒産が増えていきました。



耳が痛い言葉ですが、きっと多くの業界で起きていることですね…。



生き残るには、「うちにしかできない技術」をつくらないといけない。そこから、布を両面から染める技術に取り組み始めました。発想自体はヨーロッパから来たものですが、今やっている両面染めのやり方は、弊社独自で開発したものです。



動画で拝見しましたが、両面から挟み込むように染めていく機械ですよね。縫い目もなくて、軽くて、リバーシブルに使える。素人目にも「すごい」と思いました。



ありがとうございます。ただ、開発には3年くらいかかりましたし、僕らの中では「すごい技術や」と思っても、一般の方には一目では伝わらなくて。



たしかに、「リバーシブルなんですね」で終わってしまうこともあるかもしれないですね…。



「それってそんなにすごいことなん?」という反応も多くて、ギャップを感じました。説明して、やっと価値をわかってもらえる。技術をつくるだけじゃなく、「伝え方」もセットで磨かないといけないと学びましたね。



一点ものの染めって、職人さんのクセや気候で風合いが変わりますよね。同じものが二度とできないところが魅力で、その背景に技術と誠実さがあるのがわかります。それが、多くの方にきちんと伝わったら嬉しいですよね。



そう思います。職人の数は日本中でどんどん減っていますし、「いいものを、いい技術で、嘘偽りなく届ける」という古き良き文化が、ここで途切れてほしくないです。
職人の現場とデジタル発信をつなぐ若いチーム







一点ものを長く大切に使う文化がある一方で、安くてすぐ手に入るファストファッションも出てきている…。「いいもの」があるだけでは広まらない時代でもありますね。情報の伝え方については、どんな工夫をされていますか?



今はSNSですね。インスタグラムのアカウントを運用していて、フォロワーさんも少しずつ増えてきました。



インスタグラム、拝見しました。現場の雰囲気が伝わってきて、思わずスクロールしてしまいました。



ありがとうございます。本当はTikTokも絶対やったほうがいいと思っているんですけど、まだできていなくて。やりたいことと、手が回ることのバランスが難しいですね。



そうですよね…。ちなみに、現場は何名くらいで動かれているんですか?



現場は20人くらいです。僕が46歳で、ほぼ最年長。メインは30代で、染め物工場としてはかなり若いほうだと思います。



たしかに、「染め物工場」と聞くと、年配の職人さんが多いイメージがあります。でも御社は若くて明るい雰囲気なんですね。



そうですね。ものを作るプロはうちにたくさんいます。でも、その魅力をどう外に届けるか、そこを強くできる人がまだ少ないと思っています。



まさに、職人の現場と言葉の橋渡しをする役割ですね。20代の得意領域でもあります。発信の仕事は、どの業界にも応用できるスキルになりますよね。



はい。そういう役割をやってくれる人が増えると、もっと世の中に届けられると思います。海外向けの商品もありますし、アウトドア寄りの新商品も企画していますから、情報発信の方法だけでも、時代に合わせて変えていきたいですね。



現場の技術と現代の届け方、この2つをきちんとつなげられる人が必要なんですね。
伝統をつなぎたい20代に今日からできる一歩



現場の強い技術があって、届ける手段がまだ伸びしろのある状態って、すごく可能性を感じます。若い方なら、現場の温度感をそのままネットで伝える役割も担えそうですね。



そうですね。実際に働いている人が若いので、発信にも向いていると思います。



では、そんな環境で「どんな人と一緒に働きたいか」も伺いたいです。



そうですねぇ…。一番は、誠実な人ですね。



やっぱりそこなんですね。



はい。発想力があるとか、トークがうまいとか、その前に「仕事に対して誠実かどうか」が大事です。お客様に対しても、一緒に働く仲間に対しても、そして代々続いてきた伝統に対しても。



たしかに。誠実さって大事ですよね…。



育った環境や、これまでの人生で積み重ねてきたものが出る部分ですからね。想像力は会社に入ってからいくらでも伸ばせますが、誠実さは簡単には変わらないかもしれないですね。



ものづくりが好き、という気持ちの有無についてはいかがでしょうか?



それも必要ですね。「作れないけれど、いいものを届けたい」という営業や広報の人も大歓迎です。ただ根っこには、「ものづくりが好き」「この技術を途絶えさせたくない」という気持ちがあってほしいです。



たとえば、有名百貨店や有名店で自分たちの商品が並んでいるのを見ると、やりがいも大きそうですよね。



そうですね。うちの作ったものは日本各地のお店に行きますし、海外にも出ています。テレビや新聞、雑誌、Webメディアからも取材が来ます。それだけ信用してもらえている会社だと思うので、その実績や土台を一緒に次の時代へつないでいける人に来てほしいです。



今日のお話を聞いて、「スキルがないから無理だ」とあきらめるのではなく、「誠実さ」と「ものづくりへの興味」からキャリアを始める道があると感じました。明日からでも、身の回りのものを一つだけ丁寧に選んでみる。その小さな行動が、伝統を支える仕事への一歩になるのかもしれません。寺田社長、本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。








