「漁師は、サイエンティストであり、ビジネスマンであり、アーティストです。」株式会社弁慶丸・河西さんが語る、トップセールスマン時代に身につけた”売る力”の活かし方

大阪の住宅メーカーで営業をしていた河西信明さんは、31歳で鳥取へ移り、漁師になりました。きっかけは、たまたま見つけた3泊4日の漁業体験。参加した当時は、漁師になるつもりなどまったくなかったといいます。

2年半の研修を経て、自分の船を持って独立。ところが、水揚げを増やしても手元に残るお金は思っていたものと違いました。そこで河西さんが始めたのが、獲った魚を自分で家庭へ届ける「鮮魚通販」でした。

大阪で営業をしていた経験は、なぜ鳥取の海で活きたのか。漁師になって初めて知った仕事の難しさと、自分で獲り、自分で売るからこそ見えてきたことを伺いました。

お話を伺った人

株式会社弁慶丸

弁慶丸船長 河西 信明

大阪生まれ。関西大学卒業後、住宅メーカーで営業を経験し、トップセールスに。31歳で鳥取県の漁業研修制度に参加するため鳥取市へ移住。2年半の研修を経て自ら船を建造し、独立。現在は、獲った魚を家庭へ直接届ける鮮魚通販にも取り組んでいる。

目次

トップセールスになって、思い描いていた景色とだいぶ違うなと

編集部

現在漁師をされている河西さんは、もともと大阪で住宅の営業をされていたんですよね。その営業のお仕事は、最初から順調だったんでしょうか?

河西さん

いや、最初は全然です。僕、いろんなことに自信がある人間だったので、営業も正直軽く見ていたんですよ。でも実際に入ってみたら、ちゃんとスキルが必要な世界で、なかなか売れずに苦しみました。そこである上司と出会って、営業を教えてもらって、最終的にはトップセールスになれたんですけど。

編集部

トップセールス…!すごいですね!

河西さん

ただ、なってみたら「自分が思い描いていた景色と、だいぶ違うな」と思ったんです。

編集部

売れるようになった先で、何が違ったんですか?

河西さん

売れば売るだけインセンティブが入るので、年収は1000万円は超えていたと思います。でも住宅って、設計で起きた問題も現場で起きたミスも、最終的には営業に返ってくるんですよ。

編集部

売ったあとの仕事が、営業に集まってくるんですね。

河西さん

周りを見ると、100の力を出せるとしても、70くらいに抑えて一定の本数を売っている人のほうが、年収が安定していたんです。つまり、僕みたいに一気にガーンと売って、そのあとフォローに追われると、次の数字が落ちてしまうんです。

編集部

営業以外の業務の割合が増えちゃうんですね。売りたいのに、売れない。

河西さん

はい。僕は手を抜くのが大嫌いな性格なもので…。でも、営業で稼ぎ続けるには力を抑えざるを得ない。そういう自分が嫌になったりもしました。それで30歳のときに、「僕の人生、このままでいいのかな」なんて考えていたところ、鳥取県が出していた「漁師になりませんか」という募集を見つけたんです。3泊4日の体験漁業だったので、漁師になるつもりは本当にまったくなくて。思い出作りくらいの気持ちで参加したんですよ。

海一つで、自然に立ち向かっている姿がかっこよく見えた

編集部

3泊4日の体験で、漁師になろうと思うほど気持ちが変わったんですか?

河西さん

ええ。漁師が、すごくかっこよく見えたんですよね。身一つで自然に立ち向かっている。その姿を見ていたら、当時の自分の働き方と比べて、「こっちのほうがいいよな」と思ってしまって。

編集部

海に、魚に、全力でぶつかる男の姿…。シビれる気持ちもわかります。

河西さん

ちょうどその頃、勤めていた会社の親会社が売却されることになったんです。当時の僕はM&Aなんて外国の話くらいに思っていたので、「会社って、こんなふうに変わるんだ」と衝撃を受けて。そういう変化もあり、自分の人生なんだから、後悔するくらいなら一度やってみようかなと思って、31歳で鳥取へ移りました。

編集部

そこから2年半、研修を受けられたんですよね。

河西さん

はい。ただ、当時はマニュアルはもちろんないですし、基本は見て盗むんですよ。親方の船に乗らせてもらって、研修というより弟子入りに近いです。県にも組合にも「マニュアルか何かありませんか」と提案したんですけどね。でも、毎日船に乗って何かを手伝っているだけで、自分が何を学んでいるのかさえわからない状況でした。

編集部

うーん。それが、研修…。

河西さん

次はこの作業だろうと思って先回りして動いても、それがことごとく裏目に出るんです。何かするたびに怒鳴られて、「何が間違っていたんですか」と聞いたら、また怒られる(笑)。自分で船を持って独立してから、ようやく「あのとき怒られたのは、こういうことだったのか」と、一つずつ答え合わせをしていく感じでした。

800万円水揚げして、手元に残ったのは200万円を切りました

編集部

2年半の研修を終えて独立してからは、順調にいったんでしょうか?

河西さん

いや、全然です。そもそも水揚げが思うようにいかないですしね。独立して初めて、どれくらい支払いがあって、最後にいくら残るのかがわかったんですけど、頑張って800万円くらいまで水揚げできるようになったのに、そこからいろいろ払って、自分が使えるお金は200万円を切ったんです。

編集部

800万円が、200万円を切る。しんどすぎます…。

河西さん

漁業って、すごくお金がかかるんですよ。昔は5年ごとに800万、900万円するエンジンを載せ替えられたらしいんですけど、いまは1台をオーバーホールしながら10年、15年と使っているところもあるみたいです。手元に200万円しか残らなかったら、網を買い替えることもできませんからね。

編集部

次の道具が、買えなくなってしまう…。

河西さん

大阪から持ってきた貯金も生活のためにどんどん減って、いよいよ底が見えてきたんです。そこで「このままじゃまずい」と思って、自分で魚を売ってみようと考えました。

編集部

えっ、魚を獲った漁師が自由に売っちゃだめなんですか?

河西さん

そうなんです。じつは、魚の値段を決める権利を、自分たち漁師は持っていないんですよ。そこはずっと弱い立場だなと思っていました。だから、「魚の値段を自分でつけられるようになれば、なんとかご飯を食べられるんじゃないか」という計算があったんです。

編集部

それでいくと、当時は漁師が自分で売るスタイルはかなり珍しかったでしょうね…。

河西さん

そうです。タブーに触れるような感覚でしたね。実際、いろいろ揉めました。でも、あえて水産業界以外の他の業界がやっていることを参考にしました。僕は、イノベーションって「本業×異業種」だと思っているので。

魚をさばく文化を再生しない限り、漁師は成り立たない

編集部

その自分で売るスタイルを確立された河西さんですが、魚を家庭へ、丸のまま届けていますよね。”さばかない”ことにも何か理由があるんでしょうか。

河西さん

はい。僕は、日本人が魚を食べなくなった理由の一つは、魚をさばかなくなったことだと思っています。昔は、親から子へ魚のさばき方が伝わっていました。でも核家族化などもあって、その機会が減ったんです。魚屋さんで「3枚におろしましょうか」なんてやってもらえるようになったことで、自分で魚を触る機会も減りました。

編集部

たしかに、私もいつも切り身ばかり買ってます…。

河西さん

魚を見る力も、さばく技術もわからなくなっていく。だから、魚をさばく食文化をもう一度つくらない限り、漁師という職業も成り立たなくなるんじゃないかと思って、丸のまま届けることにこだわっています。

編集部

一方で、新規のお客さんは毎週50セットに限定されています。販売量を増やさないのは、魚が獲れなくなっていることも関係していますか?

河西さん

そうですね。セットの中身を決めると、水揚げとの兼ね合いで数に限りが出ますし、年々魚自体が獲れなくなっています。昔は「たくさん獲ればいい」と考えられたんですけど、もうそういう時代ではないと思っています。

編集部

その原因は、どのあたりにあるんでしょう。

河西さん

温暖化もあると思います。ただ、僕自身の感覚では、獲りすぎもかなり大きいです。僕もそうでしたけど、目の前の生活があるから、小さい魚でもとにかく獲ってお金に変えなきゃいけない。その積み重ねがあったと思うんです。

編集部

自分で売る側に回って、見え方が変わったところはありますか?

河西さん

漁師だけじゃなく、魚屋さんや仲買さん側の気持ちも、少しわかるようになりました。皆それぞれ自分の立場があるわけですし、誰かが良い悪いという話ではないんですよね…。

漁師は、サイエンティストであり、ビジネスマンであり、アーティストです

編集部

河西さんは、漁師について「サイエンティストであり、ビジネスマンであり、アーティスト」と発信されています。河西さんにとって、漁師のどこがそこまで面白いんでしょう?

河西さん

そう発信している一番の理由は、仲間が欲しいからなんですけどね(笑)。漁師って、本当に面白い仕事なんです。自分で工夫して、その結果がすぐ出る。道具を少し変えてみて、うまくいったら続ければいいし、ダメならまた変える。その結果が、魚が獲れるかどうかや収入にもつながってきます。

編集部

工夫した分が、その日のうちに返ってくる。

河西さん

子どもの頃に、山へカブトムシを捕りに行ったりしたじゃないですか。ああいう感覚が毎日続いて、それで生活までできたら、一番面白いですよね。

編集部

それだけ面白くても、若い方に「ぜひ漁師に」と簡単には言わないんですよね。

河西さん

100%「おいでよ」とは言えないですね。夢だけ見せて、現実を知らないまま来てもらうのも違うと思うので。大変なところも隠さずに発信するようにしています。ただ、20代の方には、興味があることなら何でもいいから、とりあえずやってみなよと伝えたいです。一歩踏み出したら、世界は変わっていくはずなので。最初の扉を開けるのが難しいのかもしれないですけど、ためらわずに、自分からノックしてほしい。困ったら絶対に誰かが助けてくれると思います。

編集部

それは、水産の世界に限らずなんですね。

河西さん

水産に来なくてもいいんです。いまの20代、30代はこれからの人生が長い。だから、長く働くことになると思います。その中で、目の前にある仕事から「自分は何を吸収できるんだろう」と考えて働いていれば、食いっぱぐれることはないと思っています。

編集部

大阪で身につけた売る力を、河西さんは鳥取の海に持ち込みました。行き詰まりを動かしたのは、魚を獲る技術ではなく、値段を自分でつける売り方のほうです。獲った魚を家庭へ直接届けるところまで、実際にやってみせた河西さん。いまの仕事で覚えたことは、業種が変わっても持っていけるのだと感じました。河西さん、本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

目次