「失敗を恐れて何もしないことが、一番の失敗。」17歳で仕事を始め、27歳で多額の借金を経験。株式会社BIG SMILE・豊嶋社長が語る、失敗を次につなげる生き方

高校生の頃からライブハウスで働き、卒業後はそのまま個人事業主として社会人生活をスタートした、株式会社BIG SMILEの豊嶋智社長。

「社会人1日目が個人事業主でした」

会社員として経験を積んでから独立したわけではありません。

当時は、開業や経営についての知識もほとんどないまま、体力とエネルギー、そして勢いで仕事をつくっていたそうです。

その後は飲食業へ進み、店舗経営も経験。しかし、人間関係や契約をめぐるトラブル、事業の失敗などが重なり、27歳の頃には多額の借金を抱えることになります。

それでも、そこで終わりにはしませんでした。

その後、28歳頃からECサイトの運営代行事業に携わり、事業を立て直していきました。現在は、自身が17歳から27歳までの10年間で経験してきた失敗や苦労そのものを生かし、事業再生支援にも取り組んでいます。

「挑戦しない。失敗を恐れて何もしない。それが一番の失敗だと思います」

10代から30代まで、何度も壁にぶつかりながら事業を続けてきた豊嶋社長に、これまでの歩みと、失敗を恐れて一歩を踏み出せない若い世代への思いを伺いました。

お話を伺った人

株式会社BIG SMILE

代表取締役 豊嶋 智

兵庫県明石市出身。大学卒業後、大阪のマンション開発会社に入社し、不動産販売の仕事に携わる。その後、不動産仲介会社を経て、神戸の住宅開発会社で土地の仕入れ、企画、建築に関わる調整、販売まで幅広く経験。独立後は、不動産に関する知識と経験を生かし、相続の相談や専門家との連携を通じた課題解決に取り組んでいる。

目次

「社会人1日目が個人事業主」。高校生からライブハウスで仕事を始めた

編集部

豊嶋社長は、10代の頃から仕事をされていたとのことですが、最初のキャリアはどんなことから始まったんですか?

豊嶋社長

もともと、中学生の頃は作詞家になりたかったんです。自分の言葉や考えを全国に、できれば世界にも広めたいということを、中学生ながらに考えていました。それで、「作詞ができるなら作曲もできるようになりたい」と思って、高校生になってからギターを始めて、バンドもやるようになったんです。そこから都内のライブハウスで働くようになりました。

編集部

バンド活動がきっかけで、ライブハウスのお仕事にも関わるようになったんですね。

豊嶋社長

そうですね。ライブハウスは夜の仕事なので、終電で帰れればいい方で、始発になることも普通にありました。次の日は朝から学校なんですけど、仕事を優先して学校へ行かないこともありましたね。別にグレていたとかではなくて、自分の中では、学校よりもやりたい仕事の優先順位が高かったんです。大学に進学するつもりもありませんでした。

編集部

そこまで仕事に振り切っていて、高校は卒業できたんですか?

豊嶋社長

ありがたいことに、先生にはすごく可愛がってもらっていたんですよ。ある時、先生に別室へ呼ばれて、「この先生とこの先生の授業では寝ていていい許可を取りました」と言われたこともありました(笑)。それから、「この日は来なくてもいいけど、この日は必ず来なさい」と調整してもらって。本来だったら卒業できなかったかもしれないですけど、そういうご縁もあって卒業することができました。

編集部

かなり理解のある先生ですね(笑)。では、高校を卒業してから就職したわけではなかったんですね?

豊嶋社長

就職はしていないです。ライブハウスでイベントの企画や運営をやらせてもらっていたので、その延長で仕事を続けました。だから、社会人1日目が個人事業主だったんですよ。ただ、格好よく「起業しよう」と考えていたわけでは全然ありません。むしろ社会経験も知識もなさすぎて、アルバイトと個人事業主の違いすら、よくわかっていなかったくらいです。開業や税金についての知識もほとんどありませんでした。今振り返ると、本当に世間知らずだったなと思いますね。

編集部

独立する覚悟があったというより、知らないからこそ、そのまま飛び込めた部分もあったんですね。

豊嶋社長

そうだと思います。当時の自分にあったのは、体力とエネルギーと勢いくらいでした。コンビニの夜勤もやりながら、20歳くらいまでライブイベントの企画などを続けていました。

20歳で初めての挫折。焼け酒をしていた居酒屋から、飲食の世界へ

編集部

勢いで走ってきた10代でしたが、20歳頃になると何か変化はありましたか?

豊嶋社長

はい。そこで、人生で最初の挫折がありました。やってもやっても形にならない。収入も増えない。結局、アルバイト生活からも抜け出せない。ずっと頑張っているのに結果が出なくて、近所の居酒屋で毎日のように焼け酒をするようになったんです(笑)。20歳くらいなのに。

編集部

それほど、思うようにいかないことが悔しかったんですね。

豊嶋社長

そうですね(笑)。それで、その居酒屋のマスターから「そんなに飲んでいるなら、うちで働け」と声をかけてもらって。最初はアルバイトで入って、その後は正社員のような形で働くようになりました。

編集部

そこで初めて、飲食店で働き始めたんですね。

豊嶋社長

そうですね。ただ、接客については、ライブハウスでかなり鍛えられていたんです。ライブハウスでは、まず会場のスタッフと関係をつくらないといけない。その後に演者さんが来るので、今度は演者さん同士やスタッフとの間をつないでいく。営業が始まれば一般のお客様も来ますから、今度はお客様も含めて、その場全体をいい雰囲気にしていく必要があります。そういうことを10代からやっていたので、飲食店に入ってからも、その経験はかなり生きました。

編集部

料理を運ぶだけではなく、「その場を楽しくする」というところまで自然にやっていたんですね。

豊嶋社長

そうですね。当時は金髪で肌も黒くて(笑)、よくしゃべる若い店員がいるということで、お客様にも覚えていただきました。それに、当時のお店はSNSをあまり使っていなかったので、SNSでの集客も始めました。そうすると、近隣のお店からも「うちに来ないか」と声をかけてもらうようになって。その中の一つの店舗へ、今度は店長として移ることになりました。

編集部

ライブハウスで身につけた接客力が、今度は飲食店でも評価されたわけですね。

豊嶋社長

そうですね。そこで1年ほど店長をした後、その店舗を任せてもらい、自分で経営するようになったんです。お店自体はうまくいっていました。常連さんが来たら一緒にゲームをしたり、リクエストされた曲をかけたりして、朝までみんなでワイワイするようなお店でしたね。

店は繁盛。それでも27歳で残ったのは「借金の海」だった

編集部

お店自体は順調だったんですね。

豊嶋社長

売上としてはうまくいっていました。ただ、経営を続ける中で、人間関係や契約をめぐるトラブルが起きてしまったんです。最終的には25歳頃に、約400万円を支払って関係を終わらせることになりました。もちろん、今振り返れば、自分にも責任があります。リスクがあることはある程度わかっていたのに、それでも進んだのは自分ですから。

編集部

お店そのものが失敗したわけではないのに、別のところで大きな問題が起きてしまったんですね…。

豊嶋社長

そうなんです。それで飲食店を離れたんですが、ちょうどコロナ禍でもありました。普通だったら、そこからどこかに勤めるという選択もあったと思うんですけど、僕にはそういう発想がなくて。これまでの飲食経験もあったので、今度はお弁当のデリバリーやキッチンカーの事業を始めたんです。

編集部

そこでも、また自分で事業をやろうとしたんですね。

豊嶋社長

そうですね。ただ、結果的にはそれもうまくいきませんでした。今なら原因ははっきりわかっていて、圧倒的な計画性不足です。当時は、市場をきちんと分析することも、事業計画を立てることも十分にできていませんでしたし、何より大きかったのは、撤退ラインを決めていなかったことですね。

編集部

「ここまで赤字になったらやめる」という基準がなかったということでしょうか。

豊嶋社長

はい。従業員もいましたから、給料は払わないといけない。「なんとかこの事業で巻き返したい」と思って、実家にも頭を下げてお金を借りましたし、知人からも数百万円単位で借りるようになりました。ありがたいことに貸してくれる人がいたんですけど、今思えば、借りられてしまったことも問題だったと思います。撤退を決めていないから、借りられる限り借りてしまう。そうして気づいた時には、本当に「借金の海」みたいな状態になっていました。27歳の頃です。

編集部

それまで何度も事業に挑戦されてきましたが、この時は精神的にもかなり厳しかったのではないでしょうか。

豊嶋社長

そうですね。騙されたり、裏切られたり、利用されたり、事業もうまくいかなかったり。それまでのいろいろなものが重なって、心身ともにかなり厳しい状態になりました。

17歳から27歳の10年間を「商売道具」に。失敗の経験から事業再生支援へ

編集部

そこまで追い込まれた後、どうやって立て直していったんですか?

豊嶋社長

キッチンカーなどの事業は、本当にわずかな金額ですけど、最終的には同業の方へ売却しました。その頃、ずっと相談に乗ってもらっていた経営者の方がいたんです。その方が、ECサイトの運営代行事業をすでに軌道に乗せていて、協力会社として動ける人を探していました。そこで僕に声をかけていただいたんです。

編集部

ゼロから新しい事業を立ち上げるのではなく、すでに形になっていた事業の中で仕事を任せてもらえたんですね。

豊嶋社長

そうです。中国から商品を輸入して日本で販売するビジネスだったんですけど、仕入れ先などがまだ統一されていない部分があって、そこを任せてもらうことになりました。感覚としては、「半分雇われ社長」みたいな立場でしたね。すでに軌道に乗っていた事業だったので、始めた月からある程度の売上と利益をつくることができたんです。そこから少しずつ立て直して、28歳頃には飲食事業も整理し、30代に入る頃にはかなりきれいな状態で再スタートできるようになりました。

編集部

事業を任せてもらう中で収益を確保できるようになり、再スタートにつながったんですね。

豊嶋社長

そうですね。でも、僕は諦めが悪いので(笑)、それだけでは足りないと思ったんです。17歳から27歳までの苦しかった出来事は、今ではお酒を飲みながら笑い話にもできます。でも、笑い話にするだけじゃ足りない。この経験そのものを商売道具にできないかと思うようになったんです。そこで行き着いたのが、事業再生支援でした。

編集部

自分が事業で困った経験そのものを、今度は誰かを立て直すために使うようになったんですね。

豊嶋社長

そうですね。ありがたいことに、今はいろいろな年代の方から相談をいただきます。でも、相談される内容を聞くと、だいたい自分が17歳から27歳までの10年間に経験したことの中にあるんですよ。「それは経験がないのでわかりません」となることが、ありがたいことにほとんどない。今困っている人の気持ちがわかることは、自分の強みだと思っています。

「失敗を恐れて何もしないことが、一番の失敗」

編集部

今は、過去の失敗まで仕事につながっているんですね。一方で、若い方からは「失敗するのが怖くて動けない」という声も多く聞きます。これについては、豊嶋社長はどう考えますか?

豊嶋社長

失敗を恐れて何もしないことが、一番の失敗だと思います。それに、人生が続いていく中で、その出来事が本当に失敗だったのかどうかなんて、その時点ではわからないんですよ。

編集部

言われてみれば、たしかにそうですよね…。

豊嶋社長

例えば、僕が27歳の時に「もう失敗した。終わりだ」と諦めて、それ以降何もしなかったら、本当に失敗で終わっていたと思います。でも、失敗を失敗で終わらせないために、その後もやってきた。だから今は、当時の経験が仕事にもなっています。

編集部

その瞬間だけ切り取れば失敗でも、その後の行動によって意味が変わることもある、と…。

豊嶋社長

そうです。何をもって失敗とするのかも、人によって違いますから。もちろん、一歩踏み出すのには勇気がいります。僕と同じような大きなことをやる必要もないと思います。でも、まだ若くて、これから選択肢がたくさんある時に、失敗を怖がって何もしないのはもったいないと思うんです。僕自身、17歳から27歳までの10年間は、本当にいろいろありました。でも、28歳から立て直して、30代のスタートで「これからしっかりやっていこう」と思える商売にも出会えた。そう考えると、悪くなかったなと思っています。

編集部

17歳で仕事を始め、20代では事業の失敗や多額の借金を経験した豊嶋社長。しかし、そこで挑戦をやめなかったからこそ、苦しかった経験を今の仕事に生かせるようになりました。今回のお話で印象的だったのは、失敗したという事実よりも、その後どう行動するかが大切だということです。過去の出来事は変えられなくても、その経験をこれからの人生にどう生かすかは、自分で選ぶことができる。豊嶋社長の歩みは、失敗を恐れて一歩を踏み出せずにいる人にとっても、背中を押してくれるものではないでしょうか。豊嶋社長、本日は貴重なお話をありがとうございました。

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