「無ければ、作ればいい」ビット・パーク株式会社・野口社長が語る、ゼロから生み出す仕事の面白さ

何かを作る仕事がしたい。でも、自分に何ができるのかは、正直わからない。そんな入り口で、立ち止まっていませんか?

その問いに、まず、作ってみればいいと背中を押してくれる人がいます。ビット・パーク株式会社の代表、野口修社長は、NTT出身のエンジニアでありながら、議会の中継システムから高齢者の見守り機器まで、“世の中にないもの”を30年以上つくり続けてきました

なぜ通信の道を選んだのか、独立して何を作ってきたのか、そして20代に何を伝えたいのか。じっくり伺いました。読み終わる頃には、「無ければ作る」という一歩の踏み出し方が見えてくるはずです。

お話を伺った人

ビット・パーク株式会社

代表取締役 野口 修

NTT(当時の電電公社)で情報通信の世界を歩んだのち、平成6年に独立してビット・パークを創業。デザインからシステム開発、動画、防災機器まで幅広く手がける制作会社を率いる。技術者としての土台に、クリエイティブとものづくりへの探究を重ね、「無ければ作ろう」を創業以来のモットーに掲げてきた。議会インターネット審議中継システムや、位置情報サービスなど、社会に役立つ仕組みを数多く世に送り出している。

目次

音楽か、通信か。20代の分かれ道

編集部

野口社長は、音楽と技術、その両方をずっとやってこられたんですよね。

野口社長

そうなんです。20代の頃、音楽と通信系、どっちに進もうか迷っていて。音楽も面白いところまでは行けたんですが、上には上がいる。これで飯を食えるかな、と考えたんですよね。それで、持っていた通信系の資格が一番役に立ちそうな道はどこか、と冷静に見て、電電公社を受けることにしました。

編集部

好きなことと、食べていけること。そこを分けて考えたんですね。

野口社長

はい。ただ、入社したきっかけはロマンでした。就職担当の人が、離島に電話回線を引く工事のビデオを見せてくれて。電源を工事して、海底ケーブルを張って…。それに感動しちゃって、「俺もやろう」と(笑)。そうやって電電公社、今のNTTに入りました。

編集部

離島に電話を引く。想像するだけで、確かにロマンがありますね…! 入ってからは、どんな時代だったんですか?

野口社長

ちょうどアナログからデジタルに切り替わる頃で。僕は日比谷の本社にいたんですが、まあ、今でいうブラックでしたよね(笑)。夜中に会社で布団をかぶって寝て、朝7時にお掃除のおばちゃんたちが雑談を始めるのを目覚まし代わりにする、みたいな。でも、そこで情報通信の世界がどんどん広がっていくのを、間近で見られたんです。

編集部

電話だけじゃなく、いろんなものが繋がっていく時代の入り口の、ど真ん中にいたんですね。

野口社長

そうですね。実は音楽もずっと続けていて。NTTには楽団があって、ジャズのバンドで老人ホームやコンサートで演奏したり。退職して30年経つ今も、当時の仲間と一緒にやっているんですよ。プロの道と、趣味の道と、両方の時間を使いながら、バランスよく、という感じですね。

編集部

食べる道を選びながら、好きなことも手放さない。その両方が、いまの仕事につながっている気がします。

独立、そして「おくりん坊」

編集部

NTTには13年ほど。そこから独立された、というのは大きな決断ですよね。何がきっかけだったんですか?

野口社長

13〜14年いて、自分の会社をやってみたくなったんです。人生のバイオリズムみたいなもので、プラスもマイナスもいろいろあって。円満に退職して、平成6年、バブルが終わる頃に一人で立ち上げました。

編集部

なるほど…一人で。当時は、まず何で食べていこうと考えたんですか?

野口社長

それまで電気通信や技術をやっていたので、まずはテクニカルライターですね。新しいコンピューターやネットワークに詳しいライターを探している、と出版社の編集の人たちから声がかかって。そのうちデザイナーを集めて、本を一冊まるごと作るような、クリエイティブの仕事も増えていきました。

編集部

書く人から、作る人へ。仕事が広がっていったんですね。

野口社長

ただ、原稿を書くのが僕一人だと、さすがに大変で。もともと技術屋なので、開発をやりたい気持ちもずっとあって。そこにブロードバンドの波が来たんです。大きなデータを送れる時代になった。これは活用しないと、と思って作ったのが「おくりん坊」というデータ転送サービスでした。

編集部

おくりん坊。どういうものだったんですか?

野口社長

当時って、印刷のデザインデータを、バイク便で工場まで運んでいたんですよ。MOやCD-ROMに焼いて、1時間かけて届けて、また1時間かけて確認して…。夜中までかかるし、タクシー代もかかる。あぁ、これは無駄だな、と。

編集部

それはしんどすぎますね…。

野口社長

でも、それを通信で解決したんです。大きなデータをサーバーに一度あげて、メールのリンクからダウンロードしてもらう。時間も、距離も、お金も、ぜんぶ縮められました。

編集部

バイク便で往復2〜3時間かかっていたものが、通信ひとつで。

野口社長

「時間と空間を、なんとかできないか」。この視点は、あの頃からずっと根っこにありますね。

編集部

目の前の“面倒くさい”を、仕組みで消していく。それが、次に作るものの原点になっているんですね。

「無ければ、作ろう」

編集部

“なんとかできないか”から、ものを生み出していく。その原動力は、どこから来ているんでしょう?

野口社長

若い頃に読んだ、ホンダのF1エンジンをゼロから作った方の本が、すごく印象に残っていて…。見えないコースの裏側でも、レーサーの車にセンサーをつけて、オイルや温度の状態を電波で飛ばして、ピットで最適に整える。そういう仕組みをゼロから生み出した人なんです。それが、もう「ロマンやろ」と。

編集部

何もないところから、仕組みを立ち上げる。そこに痺れたんですね。

野口社長

そうなんです。だから弊社も、「世の中にないものを作ろう」というのがコンセプトで。実際は半田づけで火傷したり、そんなことばっかりですけどね(笑)。

編集部

泥くさく手を動かした先に、ないものが生まれるんですね。

野口社長

そう。しかも僕はもともと技術屋だったので、そこにデザイナーを何人か集めて、社内で全部完結できるようにしたんです。デザインだけの会社だと、きれいなものを作る同業と競争になってしまう。でも、後ろで動くサーバーやシステムまで自分たちでなんとか作れれば、簡単には置き換えられない。

編集部

だから、AIが出てきても揺らがない。デザインと技術、その両方を自社に抱えている強みなんですね。

野口社長

そこは、30年以上やってきて、間違ってはなかったかなと思いますね。デザインから入っていたら、たぶんここまでは辿り着けなかった。技術から始めて、クリエーターも集めて、全部を作れる会社にした。それが今も続いています。

編集部

「無ければ作ろう」を、掛け声で終わらせず、作れる体制ごと用意してきた。だからこそ、続いているんですね。

Something」で生まれたもの

編集部

その体制で、実際にどんなものを作ってこられたんですか? かなり幅広いと伺いました。

野口社長

弊社には、「+Something」という考え方があるんです。あるものに、何かを一つ加えると、まったく別のデバイスやビジネスになる。それを常に考えていて。たとえば、議会インターネット審議中継システム。20年ほど前にインターネット中継を始めて、当時からリアルタイムで配信しています。ここ数年で、音声認識の字幕も出るようになりました。

編集部

議会の中継を、20年も前から。それはかなり早いですね…!

野口社長

早かったと思います。もう一つが、位置情報サービス「ここココ」を軸にした、高齢者の見守りや防災ソリューションですね。このGPSの装置は、場所がわかるだけじゃなく、通信機能を持っている。その「位置情報+Something」で、いろんな使い方が生まれるんです。

編集部

位置がわかる、その先に一つ足す。そこから、どんなものが生まれたんですか?

野口社長

「ココBOXⅡ」という商品です。地震や台風、豪雨など、大規模災害があった時に避難指示が出ますよね?その時に、住民の方が避難所に避難するも鍵が開いていなくて入れない、という状況が実は日本各地で起きているんです。避難所の鍵が開いてないのは、鍵を持っている担当者の人が避難所まですぐに駆けつけられない、という人に頼る仕組みになっているから。そこで、デジタルの技術を活用して避難施設の鍵を保管するこの箱を遠隔で開けられるようにしたのが「ココBOXⅡ」です。避難所開設を迅速に行うことを目的とした防災DXツールですね。

編集部

誰かが駆け付けなくても、住民が自分たちで避難所の鍵を開けられるんですね。

野口社長

そうです。鍵を持っている担当者の人も同じ地域にいて、恐らく被災しているはずですし、道路状況だって正常とは限らない。発災が休日や夜間かもしれない。この「ココBOXⅡ」を自治体の主要な避難施設の横に設置しておけば、担当者が現地に行かなくても、遠隔で箱の解錠・施錠ができるし、自治体の様々な場所に設置した「ココBOXⅡ」の状態も地図と連動した管理画面から一元管理することができます。

編集部

今まで活用された事例などはありますか?

野口社長

2024年に能登半島地震がありましたよね。あの時、すでに28台を導入してくれていた新潟県佐渡市さんでは、震動検知による自動解錠、解錠されていないものは自治体職員による遠隔解錠によって適切な初動対応が行われました。結果、発災当日に2,830人の住民の安全確保に貢献できたんです。このことが評価されて、国土強靭化大賞などもいただきました。実際の災害時に想定通りの動作をして、世の中の役に立つものが作れたのだなぁと実感しましたね。そして今もなお、機能拡充と高度化を目指して日々開発と検証を繰り返してますよ。

編集部

作ったものが、誰かの安心になっている。その手応えが、次のものづくりにつながっているんですね。

まず、作ってみる。そこから始まる

編集部

その、誰かの役に立つものづくり。弊社に相談へ来る20代には、クリエイティブやデザインに憧れる方がとても多いんです。そういう方へ、伝えたいことはありますか?

野口社長

いやあ、クリエイティブが最先端かどうかはわからないです。ただ、まずは、自分に何ができるのかなと考えるところからですよね。僕もエレクトロニクスが好きだったから、そこから始まったんです。

編集部

自分に何ができるか。まず、そこからなんですね。

野口社長

そう。頭で「これを作りたい」と描けたら、それを実現する技術は、意外といろいろあるんです。通信の技術、バッテリーの技術…そういうものを部分部分で組み合わせれば、形になる。だからまずは、作ってみます。そこから始まるんですよね。

編集部

完璧な準備を待つより、まず手を動かす。

野口社長

他力本願じゃなくて、できるかぎり、最後まで自分で作る。相当大変ですけど、やってみてダメなら変えればいい。弊社の防災バッグも、展示会で「でかすぎて持てない」とばっさり言われて、作り直しなんです。でも、そうやって役に立つものになっていく。

編集部

ダメ出しも、次に活かす。その繰り返しなんですね。ちなみに採用のほうは、いまどんな状況ですか?

野口社長

すぐに大量に、という感じではないんです。弊社は長く勤めてくれる方が多くて。ただ、窓口を閉じているわけではないし、熱い人が来てくれたら、そこからまた若い方の採用に動いていく。そういう分岐点にいると思っています。

編集部

経験より、熱量。まず作ってみようとする人を、待っているんですね。

野口社長

そうですね。志のあるものは、広げていきたい。そういう会社です。ぜひ、飛び込んできてほしいですね。

編集部

何かを作りたいけれど、自分に何ができるかわからない。その入り口で立ち止まっている人へ、野口社長の答えはいたってシンプルでした。まず、作ってみる。無ければ、作ればいい。その一歩の先に、誰かの毎日を支える“何か”が生まれていく。取材を終えて、そう確かに感じています。野口社長、本日はありがとうございました。

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