独立1年目の年収は14万円――株式会社ボスコラーニング代表取締役・大野興祐が語る「組織に依存しなくても生きていけるスキル」

今の仕事の先に、この先ずっと通用するスキルは身についているだろうか。接客や販売の現場に立っていると、そんな不安がふとよぎる瞬間があるかもしれません。
株式会社ボスコラーニング代表取締役の大野興祐氏は、商業施設で働く接客スタッフ向けの研修講師として、経験も実績もお客様もゼロの状態から独立したといいます。独立1年目の年収は、わずか14万円。しかし今では、指導した教え子たちが全国の接客コンテストで幾度となく優勝を果たすまでになりました。
売れない時期をどう乗り越えたのか。接客の現場では今、何が教えられているのか。そして、接客経験しか持たない20代へ何を伝えたいのか。じっくりと伺いました。読み終える頃には、いま自分が向き合っている仕事の見え方が、少し変わっているかもしれません。
株式会社ボスコラーニング
代表取締役 大野 興祐
大学卒業後、子ども向け教育教材の訪問販売、医薬品卸のルート営業を経て、コンサルティング会社の人材育成部門に7年間従事。33歳で研修講師として独立し、2010年に株式会社ボスコラーニングを設立。10年前からショッピングセンター領域に特化し、現在は売上の95%を同分野の研修が占める。全国の接客ロールプレイングコンテストでは、同社が指導に携わった商業施設のスタッフが優勝・入賞を重ねている。
独立1年目、仕事はたった2日だった

編集部大野さんは現在、商業施設の接客研修を専門とされていますが、そこに至るまでにいくつもの職種を経験されているそうですね。



はい。大学卒業後、子ども向け教育教材の訪問販売を1年、医薬品卸のルート営業を3年経験しました。どちらも「モノを売る」現場です。そこから、コンサルティング会社の人材育成部門へ移りました。最初はコンサルティングという言葉が漠然とカッコいいと思っていたんです。そこで営業と教育、この二つを学んだことが、結果的にいまの仕事の土台になっています。



営業経験と教育経験、両方お持ちだったんですね。



そうなんです。研修講師の仕事は、教える技術だけでは成立しません。相手の課題を聞き出し、提案し、信頼を獲得する。つまり営業のプロセスそのものなんです。人材育成部門で7年間、その両輪を磨けたことが大きかった。33歳のとき、これを専門にやっていく覚悟を決めて独立しました。



組織に残ってキャリアを積むという選択肢もあったと思います。なぜ独立を選ばれたんですか。



経営者として意思決定の裁量を持ちたかった、というのが正直なところです。父が中小企業を経営していて、その姿を間近で見て育ちました。トップに立つ人間がどれだけの責任と自由を持っているか、子どもながらに理解していたんです。組織の中で評価されるより、自分の判断で結果を出したいという思いが勝りました。あとは単純に社長になりたかった(笑)。



覚悟を持って独立された。実際のスタートは、どうだったんですか。



厳しい現実からのスタートでした。実績・人脈・信用の三要素がすべてゼロの状態です。研修講師という仕事は、突き詰めれば「信用を売る仕事」ですから、これがない状態で営業をかけても、相手にしていただけるはずがありません。独立1年目に成約できたのは、年間でわずか2日分の仕事。年収にすると14万円でした。



14万円…。月収ではなく、年収ですよね。



ええ、年収です。2年目も状況は変わらず、実績のない講師に発注する企業はほとんどありません。この業界は典型的な信用先行型のビジネスなので、最初の実績をどう作るかが最大の壁になります。借入で生活をしのぎながら、独立から3年ほどは我慢の時期が続きました。



経営として非常に厳しい局面だったと思います。当時、何を軸に持ちこたえていたんですか。



手元にある資産は、大きな声で人前に立ち、伝えられるという一点だけでした。実績がなくても、目の前の1件1件に全力で向き合う。それしかできることがなかった、というのが正確なところです。経営資源が乏しい時期ほど、持っている一点に絞り込むしかないんですよね。



そこから、どのように事業を軌道に乗せていかれたのでしょうか。



転機になったのは、新規開拓ではなく継続率でした。一度ご依頼をいただいた企業様から、翌年も再度お声がけをいただけるようになったんです。教育の成果は、初回の受注ではなく、リピート発注率に表れる。これは研修事業に限らず、専門サービス業全般に共通する原則だと思います。年2回の発注が翌年も続く。その積み重ねが、事業の土台になっていきました。もちろん、新規開拓にも力をずっと力は入れていましたが。



新規開拓の巧さではなく、教育の質そのものが売上を支えていた。とても本質的なお話ですね。



もちろん、営業力があるに越したことはありません。ただ、教える力が伴っていなければ、リピートは絶対に発生しない。これは講師業に限らず、専門性で勝負するあらゆる仕事に共通する原則だと考えています。
チャンピオンを育てる、“監督”としての仕事





現在はショッピングセンターでの接客研修に特化されているとのことですが、どのような経緯があったのでしょうか。



約10年前、ショッピングセンターという業態に特化した研修会社の存在を知ったのがきっかけです。もともと小売業の研修に取り組みたいという意向があり、これは市場として面白いと判断して軸足を移しました。現在は売上の約95%が商業施設向けの研修で構成されています。



一般企業向けの研修とは、どのような点が違うのでしょうか。



決定的に違うのは、教育投資に対する意思決定の構造です。多くの商業施設では、年間の研修予算があらかじめ組み込まれている。一方、一般企業では研修そのものを実施していないケースが少なくありません。つまり、商業施設市場はすでに需要が確立された市場なんです。あとは競合との比較で選んでいただけるかどうか、という勝負になります。



最初から勝負の土俵に立てている、ということですね。



その通りです。加えて、一般企業の研修は単発で完結し、受講後の行動変容を追跡しにくいという構造的な課題があります。一方、商業施設の研修は、教えた内容をその日のうちに店頭で実践してもらえる。効果測定のサイクルが非常に短いんです。学んだことがすぐ現場のKPIに反映される、この距離の近さが、この領域の魅力だと考えています。



成果が見えやすいというのは、具体的にどのような場面でしょうか。



象徴的なのが、接客ロールプレイングコンテストです。商業施設単位で最も接客が優れたスタッフを選出し、他館の代表と対戦する。関東大会・近畿大会などを経て、勝ち上がれば全国大会に進みます。指導の成果が順位という客観的な数字で可視化される、数少ない研修分野だと思います。



接客の全国大会があるとは知りませんでした。



私たちが指導したスタッフが、他施設の代表者と対戦し、勝敗が結果として出る。指導者の力量がそのまま成績に表れるという意味で、スポーツの監督業に近い緊張感がありますね。



これまでの成績を伺ってもいいですか。



全国大会での優勝・入賞は、これまで複数回あります。当社が指導に携わった施設のスタッフが入賞する確率は、業界内でも高い水準にあると自負しています。指導者の質が成果に直結する。この業界において、私たちはまさにその“監督”役だと捉えています。



教える側が変わることで、結果まで変わってくるんですね。指導方法は皆さん一律なのでしょうか、それとも一人ひとりに合わせて変えていくのでしょうか。



個別最適化を徹底しています。厳しく指導したほうが伸びるタイプもいれば、承認から入ったほうが力を発揮するタイプもいる。最初にゴールを明確に共有したほうがいいケースもある。画一的な指導法を全員に当てはめるのではなく、相手の特性を見極めたうえで、アプローチを設計するのが私たちの仕事です。
人間の接客販売は、AIの時代にこそ残る





AIや無人化が進む中で、接客の仕事は減っていくとも言われますが、大野さんはどのようにお考えですか。



私はその見立てには懐疑的です。無人店舗やセルフレジは確かに増えていますが、一方で商業施設そのものの数は、ここ数年ゆるやかな増加傾向にあります。ECで購入できる時代に、あえて人が接客する実店舗を出店する。これは、購買体験そのものに価値を感じる潜在需要が根強く存在することの証左だと捉えています。



商業施設の数が増えているというのは、説得力のあるお話ですね。それでも人を置く理由は、どこにあるのでしょうか。



接客販売の本質的な価値は、感情のやり取りがリアルタイムかつ双方向で発生する点にあります。テキストや画面越しのコミュニケーションでは代替できない部分です。お客様から「ありがとう」と言っていただける、「また来たよ」と声をかけていただける。この情緒的な報酬が、長く現場に立ち続けるスタッフのエンゲージメントを支えているんです。



そこは、機械には代えられない部分ですね。



その通りです。資料作成や在庫管理のような定型業務はAIによる効率化が進むでしょう。しかし、顧客の感情に寄り添い、期待を超える体験を設計する部分は、引き続き人の領域として残っていく。むしろ定型業務が自動化されるほど、接客という非定型の価値が相対的に際立っていくと見ています。
接客業しか経験のない方々にもスキルを身につけ、組織に依存しない、という生き方を知ってほしい





弊社にご相談いただく接客販売経験者の方には、「給料が上がらない」というお悩みがとても多いんです。



小売業は構造的に利益率が低い業態が多く、それが賃金水準に直結しているという事実があります。これは個人の努力だけでは解決しにくい、産業構造の問題です。一方で、接客の現場で培われるスキルは、特定の企業や業界に閉じたものではなく、汎用性の高いポータブルスキルなんです。ここに気づけるかどうかが、キャリアの分岐点になります。



現在、採用を強化されているのも、そうしたスキルを持つ方向けでしょうか。具体的にはどのようなポジションを募集されているんですか。



人材育成コンサルタントを募集しています。商業施設ごとの課題を診断し、最適な教育プランを設計する仕事です。「この施設は接客力よりクレーム対応力の底上げを優先すべきだ」といった提案を行い、実行まで伴走する。営業機能も含みますが、単発の受注ではなく、担当施設と中長期的な関係を構築していく職種です。



これは未経験でも挑戦できるものなのでしょうか。



十分に挑戦可能な職種です。前提となる素養は、対人折衝への抵抗がないことと、明るさ・エネルギーを持って人と関われること。高度なコミュニケーションスキルより、相手の課題に真剣に向き合う姿勢のほうが重要だと考えています。専門知識やフレームワークは、入社後に体系立てて習得できます。



接客販売の経験がある方は、まさにそれを日々実践されてきていますね。最後に、その経験を活かして新しいキャリアに挑戦したい20代の方へ、メッセージをお願いします。



組織に依存せずとも生きていけるスキルを、意識的に磨いてほしいと思います。私の前職の上司は「市場価値を上げろ」と繰り返し語っていました。いまの会社で成果を出すことも大切ですが、それ以上に重要なのは、どの環境に身を置いても再現性を持って価値を発揮できる人材になることです。



実際に、そのようなキャリアを歩まれている方はいらっしゃいますか。



当社で3年、5年と経験を積み、独立していくメンバーも一定数います。特に多いのが、研修講師として独立するケースです。人前で話す力、教える力を持つ人材は、労働時間に対する単価の設定において、一般的な職種よりも高いレンジで交渉できる傾向にあります。時間単価を上げられれば、必然的に自分の人生における時間の裁量も広がっていく。これは合理的な帰結だと考えています。



時間を切り売りしない稼ぎ方も、選択肢に入ってくるんですね。



さらに言えば、この仕事は経験年数と専門性が正比例する数少ない職種です。年齢を重ねるほど、指導の引き出しと説得力が増していく。何が起きても一人でやっていけるという自己効力感を早い段階で持てるかどうかは、その後のキャリア選択の幅を大きく左右します。ただ、こうしたキャリアの選択肢があること自体、まだ広く知られていない。だからこそ、若い世代にこそ知ってもらいたいと考えています。
編集後記
大野氏が独立した当時、手元にあったのは「大きな声で人前に立てる」というただ一つの力だけだった。それが体系化され、指導理論として磨かれ、いまでは1時間数十万円以上の価値を生む専門性になっている。市場価値とは、才能の大きさではなく、一つの強みをどこまで突き詰め、再現性のある形に落とし込めるかで決まる――今回の取材を通じて、そのことを改めて実感させられた。大野様、本日は貴重なお話をありがとうございました。
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