「失敗していいんです。失敗からの学びが強みにつながる。」株式会社ビジネスワールド社・宮田社長が、基礎英語力だけで入社して証明した”行動したあとに身につく”という順番

「できません」と先に答えてしまう。そんな経験はないでしょうか。
株式会社ビジネスワールド社の宮田真理社長は、24歳のときにほとんどのスタッフが外国人という父の会社へ誘われた際、「でも私、英語はあまりできないから」と答えたそうです。返ってきたのは、「勉強しろ」の一言。結果、半年でビジネスでも使える英語力を身につけて、いまは代表を務めています。
今回は、アパレルで販売職をしていた宮田社長が、どのように外国人ばかりの会社で代表になったのかを、じっくり伺いました。読み終わる頃には、いま足りないものを数える前に、まず一歩を踏み出してみる、その重要性に気づくはずです。
株式会社ビジネスワールド社
代表取締役社長 宮田 真理
女子美術大学造形学部を卒業後、アパレル関係の会社で2年半、接客とウィンドウディスプレイのデザインを担当。1996年、父が創業した株式会社ビジネスワールド社に広告営業社員として入社。スタッフのほとんどが外国人という環境で英語力を身につけ、入社半年でトップセールスとなる。1999年に副社長、2001年にCOO、2006年12月に代表取締役社長に就任。訪日外国人や日本に住む外国人に向けた、英文レストランガイドの出版やウェブメディアを手がける。
英語はあまりできないから、と答えたんです

編集部宮田社長はもともとは、アパレルのお店に立っていらしたんですよね。そこでは、どんなお仕事をされていたんですか?



美大を卒業してから、アパレル関係の会社に2年半ほど勤務しておりました。もともと人と接する仕事が好きだったので、接客とウィンドウのディスプレイデザインを担当していました。



好きなお仕事に就かれていたんですね。その業界から、なぜ出られたんでしょう?



いわゆる販売職、小売りの仕事はお店で待っていなくてはいけないという、受け身のセールスが一般的だと思います。私は自分から能動的に動けるようなセールスの仕事がしたいと考えるようになっていました。



たしかに、お客様が来てくださるのを、待つ形ですもんね。その自分から動ける仕事に、なにか当てはあったんですか?



24歳のときに、創業者である今は亡き父と二人で飲みに行く機会がありました。その時に「営業の仕事への転職を考えているんだよね」と話をしたら、父が「じゃあ、私の会社に入らないか」と。



それが、今の御社というわけですね。



ええ。弊社は、代表の私と事務員は日本人ですが、それ以外は全員が外国人のオフィスなんです。ライターからデザイナー、編集者、SNSの担当者まで、日本に住んでいる外国人の制作部による、外国人の目線で書かれた記事を届けることを大切にしています。



英語ができることが前提の職場ですね。お話をいただいた時点で、英語力はどうだったんですか?



私は基礎英語力はありましたが、英文科だったわけでもないので、父からの誘いに対して「でも私、英語はあまりできないから」と答えたんです。そうしたら、「勉強しろ」と一言(笑)。それで、「勉強するわ」と言って飛び込んだのが、今のキャリアへの第一歩です。
辞書を片手に、会議に出ていました



「勉強するわ」の一言で、決められたんですね。実際に入られてみて、社内はどんな方たちだったんですか?



広告営業社員として入社したのですが、社内は外国籍のスタッフばかりでした。あとは帰国子女の日本人の方がちらほら。直属の上司も外国人でした。



日本語が通じる相手が、ほとんどいないじゃないですか。私だったら、想像するだけで固まってしまいそうです…。日々のやり取りは、どうされていたんですか?



基本的に会議も全部英語ですし、上司が外国人だったので営業日報も英語で書いていました。当時はまだスマホもGoogle翻訳もない時代なので、片手に辞書を持ちながら臨んでいました。



いまなら手元ですぐ調べられますが、1996年ですもんね。会議の話の速さには、ついていけたんでしょうか。



最初の半年は猛勉強でした。もう毎日毎日、覚えることばかりで。それでも会議は止まってくれないので、必死でしたよ。



毎日毎日、覚える…!そのために取り組まれたことは、どういったことだったんでしょう?



私がやったのは、知っている洋画を、英語の字幕で見ることです。以前に日本語で観たことがあって、話の中身を知っている映画を選ぶ。そうすると、聞き取れなかった英文が字幕で出てくるので、聞き取れるようになるし、単語や英語表現も頭に入るんです。



それは面白いやり方ですね。私は学生時代、単語帳を3ページで閉じたきりですが、筋を知っているぶん聞き取りだけに集中できるなら、今夜からでも真似ができそうです。



それから、入社半年後には社内で使えるビジネス英語を習得して、外国人の部下を1から採用して、英語でトレーニングやミーティングをして、現場を回すところまでできるようになりました。
1日商談3件と言われて、5件行っていました



半年で、育てる側に…!営業のご成績も、伸びていったんですか?



私、すごく負けず嫌いな性格なんです。当時15人ぐらいいた営業スタッフの中で、半年間でトップセールスになりまして。7ヶ月目にはSales Department Manager (営業課長)に任命されました。そこから、人を束ねる側のキャリアも始まりました。



入られたばかりで、トップですか。なにかこう、業務の進め方がほかの方と違ったんでしょうか。



いや、単純に、ものすごい働き者なんです。営業の仕事はテレアポからスタートするのですが、当時も今も「1日3件の商談に行きましょう」という目標があります。ただ、与えられた環境の中で最大限にできることをやる、というのが私のモットーなんです。だから1日3件ではなく、5件の商談を取るように心がけていました。



言われた数以上に…。かなりストイックだったんですね。



自分で納得のいくところまで仕事をして、という感じですね。それで1999年に副社長に就任しまして、その後、2001年に父がCEO、私がCOOとして現場を見るという、2人代表体制の形になりました。



代表を引き継がれたのは、どういう経緯だったんですか?



2006年に長男が生まれて、産休2ヶ月の頃に、父から会議をするということで呼ばれたんです。赤ちゃんだった長男を抱いて行ったら「僕は引退します」と「あとは君が決めなさい」と。「子育てとのバランスの中で、そのまま代表として働いていくのも、辞めるのも、あなたが決めなさい」と。



それで、どうお答えになったんですか?



当時すでに創立35周年を迎えていた会社ですし、もちろん他のスタッフもいます。私自身もこの仕事を「天職」だと思っていたので、「お引き受けします」ということで。その年の12月に代表取締役社長となり、いまに至ります。
外国人は背後にあるストーリーを重視する





35周年の会社…!そもそも、何がきっかけで始まった会社なんですか?



スタートは1971年で、創業者である父が関西学院大学を卒業した後、日本経済新聞の広告を扱う代理店に入って働いていた際に、「いつかは自分のメディアを持ちたい」と考えたようで。



代理店は、他社のメディアを売る側ですもんね。その売る側から、つくる側に回りたかったと。



父が20代で上京してきた当時は、まだ1ドル360円の固定相場の時代です。その頃に、「ここは絶対に国際都市になる、英語のメディアを作る」と言って、日本初の英文雑誌を発行しました。新聞はもっと前からありますけれど、雑誌としては最も長い歴史のあるうちの一社で、そこからオーナーチェンジもなく事業を続けてきました。



1ドル360円の時代に、英語の雑誌。今発行されている「レストランガイド」も、その頃に生まれたんですか?



「WINING & DINING in TOKYO (ワイニング&ダイニング・イン・東京)」ですね、英文レストランガイドは1992年に創刊しました。当時、営業スタッフの1人が、「こういう英語のレストランのガイドブックがないよね」と言い出して、それじゃあやってみるかと。元々は紙のガイド誌だけだったものを、私が代表職を引き継いでから、ウェブ版、いわゆる「飲食店検索サイト」を立ち上げたり、モバイルアプリにしたり、新たなメディアの形に合わせて進化させてきました。



「WINING & DINING in TOKYO」は日本に来られた外国人向けの雑誌ですよね。日本人向けの雑誌と、作り方って違うものなんですか?



日本語のガイドブックは、写真をたくさん配置したデザインが好まれていると思います。でも外国の方は、その店の背景となるコンセプトやフィロソフィーなど、どんなストーリーがある店なのかを重要視します。デザインも、シンプルで洗練されたものの方が好まれます。だから弊社が手がけるレストランの紹介ページは、写真は一点だけ、文章で読んでいただくデザインなんです。



たしかに日本人向けのガイドブックって良くも悪くも、ごちゃっとしていますよね。にぎやかな感じというか。ちなみに載せる内容そのものも、違いますか?



日本人は「大行列必至」「期間限定」といったワードに反応しますよね。ところが外国の方はそこにはあまり興味はなく、「どんなストーリーがあるお店なのか」というところに興味をもつ方が多いんです。だから弊社の紹介記事も、店のコンセプトや魅力を踏まえたストーリーから書き出します。
失敗していいんです。失敗からの学びが強みにつながる。





お店の背景から入る、というのは面白いです。その記事を書かれているのが、外国籍の方々なんですよね。具体的には、どんな体制のチームなんでしょう?



弊社には大きく分けて、管理と、営業と、制作の3つのチームがあります。ネイティブ・イングリッシュのスタッフが多いです。いろんな国籍の人間が集まっているので、刺激のあるオフィスです。



皆さん、どういう思いで入社されているのでしょうか?



なぜ弊社で働きたかったのか、と応募の動機を聞くと、やっぱり55年という長い歴史がある英文出版社であり、外国との架け橋になる仕事だから、と。日本の魅力を海外に発信するという大きな役目に、やりがいを感じているスタッフが多いと思います。私自身もそうです。



その仕事をこれから目指す若い方に、なにか伝えたいことはありますか?



若い時って、知らないことへの恐怖だったり、最初の一歩を踏み出す勇気をなかなか持てない方も多いと思うんですけど、失敗していいんですよ。いっぱい失敗していいんです。考えているだけで動かないと、自分を変えることもできない。失敗の中に必ず、学びがあります。そして失敗から学んだことは、その人の強みになると思います。



踏み出したあとに、残るものがある。



語学もそうだと思うんです。日本人って、英語の文法はわかるから読み書きはできるけど話せない、という方が多いですよね。間違えるのを怖がっているのだと思います。でも「言語」は伝えるためのツールなので、伝わればいいんです。外国の方がおかしな日本語を喋っていても、私たちは理解しようとしますよね。それと同じで、私たち日本人が間違えた英語を話しても、相手はきちんと理解しようとしてくれます。私が英語を習得できたのも、間違えや失敗を恐れなかったからだと思います。



間違えても、ちゃんと聞こうとしてくれる。宮田社長も、基礎英語力だけで国際的な環境に飛び込んで、辞書を片手に半年間を過ごされたんですもんね。足りないものを数える前に、思い切って最初の一歩を踏み出しちゃえばいい。そう思えるようなお話でした。宮田社長、本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
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