「過去は変えられないけど、これからは変えられる。」株式会社笑仲理・鈴木社長が、不登校や転職を経て、子どもたちの「経験できる場所」をつくるまで

小学校高学年の頃から、学校へ行ったり行かなかったりする時期があった鈴木琢也社長。
中学1年生の秋頃からはほとんど学校へ通わなくなりましたが、その間もクラブチームで野球を続けていました。
その後は静岡の高校へ進学し、寮生活を経験。高校2年生の夏からは野球部のマネージャーを務め、大学では教員免許も取得しました。
社会人になってからは幼児体育の仕事を皮切りに、営業や児童発達支援など複数の仕事を経験。転職を重ねる中で、自分に合うことと合わないことの両方を知っていきます。
そして、同級生との何気ない会話をきっかけに起業を決意。2023年12月に会社を設立し、現在は子どもたちが体を動かしながら自由に遊べる環境づくりに取り組んでいます。
「過去は変えられないけど、これからは変えられると思うんです」
学校になじめなかった経験も、何度も仕事を変えた経験も、なかったことにはできません。
それでも、自分がこれからどうするかは変えられる。
鈴木社長がこれまでどのように自分の居場所や仕事を選んできたのか。そして、自身の経験が現在の事業にどうつながっているのか。これまでの歩みと仕事への考えについて伺いました。
株式会社笑仲理
代表取締役 鈴木 琢也
小学生の頃から野球を続け、中学時代には学校へほとんど通わない時期を経験。その後、静岡の高校へ進学し、野球部のマネージャーを務める。大学卒業後は幼児体育の指導、営業、児童発達支援など複数の仕事を経験。2023年12月に株式会社笑仲理を設立し、2024年4月から児童発達支援の事業を開始。現在は代表取締役として、子どもたちが体を動かしながらさまざまな経験ができる環境づくりに取り組んでいる。
中学時代はほとんど学校へ行かなかった。それでも野球は続けていた

編集部鈴木社長は、これまでかなりいろいろな経験をされてきたと伺いました。まずは学生時代から教えてください。



小学校から野球をやっていました。一方で、学校は正直あまり好きではなくて。小学校5、6年生の頃から、行ったり行かなかったりする時期があったんです。中学に入ってからは、1年生の10月くらいから3年生の修学旅行の頃まで、ほとんど学校へ行っていませんでした。



学校へは行かなくても、野球は続けていたんですか?



野球はクラブチームで続けていました。学校の部活ではなかったので、他の中学校の子たちとも関わりがありましたし、学校へ行っていなくても人とのつながり自体はあったんですよね。それで、クラブチームの代表から「高校はどうするんだ」と話をしてもらって。僕自身は、当時そこまで「絶対高校へ行きたい」と思っていたわけではなかったんですけど、家を出たいという気持ちもあって、紹介してもらった静岡の高校へ進学しました。



高校生活はどんな感じだったんですか?



静岡では寮生活だったんですけど、 そもそも中学校へほとんど行っていなかったので、高校でも何度か「辞めようかな」と思うことはありました。でも、なんとか3年間続けました。それで、高校2年生の夏に上の代が終わったタイミングで、「マネージャーをやるか」と声をかけてもらったんです。親に相談したら、「そういうふうに声をかけてもらえる機会はなかなかないんだから、やったらいい」と言われて。そこから1年間、野球部のマネージャーをしましたね。



選手からマネージャーに変わると、見えるものも変わりそうですね。



そうですね。選手と監督や指導者の間に立ったり、外部の方と話したりする機会も増えました。プロのスカウトの方と話すこともありましたし、高校生の時にいろいろな人と関わらせてもらったことは大きかったと思います。その後は付属の大学へ進学して、教員免許も取りました。教育実習は、自分がほとんど通っていなかった中学校へ行ったんですよ(笑)。先生から「活発な子だったっけ?」みたいに言われて、「絶対覚えてないでしょ」と思いましたけど(笑)。



ほとんど通っていなかった中学校に、今度は教育実習で戻るって面白いですね(笑)。
営業は半年で退職。「できないものは、できなかった」





大学を卒業した後は、どんな仕事から始めたんですか?



大学のゼミが幼児体育や障害者スポーツに関係する分野だったので、最初は保育園などで体操を教える仕事をしました。4年くらい続けたと思います。その頃に結婚して子どもも生まれたので、生活のことを考えて、もう少し収入を上げたいと思ったんですよね。それで営業職に転職しました。



初めて営業をやってみて、どうでしたか?



半年で辞めました(笑)。



えっ(笑)。



もともと向いていないだろうなとは思っていたんですけど、本当に向いていなかったですね。その後は、児童発達支援や障害児支援の分野へ進みました。幼児体育をやっていたこともありましたし、大学でも障害者スポーツに関わっていたので、その経験を生かしながら、少し違う分野へ行ってみようと思ったんです。



そこからは児童発達支援の仕事を続けていったんですか?



一つの会社には3、4年弱くらいいたと思います。ただ、その会社が事業から撤退することになって、辞めざるを得なくなりました。その後、実はもう一度営業に行ったんですよ。



一度「向いていない」と感じた営業に、もう一度ですか?



そうなんです。児童発達支援の分野で今後やっていくなら、いずれ管理者になることも考えるじゃないですか。でも僕は対人関係がそんなに得意ではなかったので、管理者になる前に、もう一度営業をやって人と話すことに慣れようと思ったんです。…でも、やっぱりできないものはできなかったですね(笑)。



そこで無理に営業を続けるのではなく、また児童発達支援の分野へ戻った感じですか?



そうですね。その後もいくつか会社を経験しました。小さい会社に入ったり、以前の上司がいた会社にお願いして入れてもらったり。振り返ると、転職は7回くらいしていると思います。いろいろな会社を見て、そのたびに「ここは自分には違うな」と感じることもありました。
「もう会社を起こしちゃえよ」同級生の一言から始まった起業





何度か転職を経験する中で、最終的に独立しようと思ったきっかけは何だったんですか?



同級生と話していた時ですね。仕事についていろいろ話していたら、「もう会社を起こしちゃえよ」みたいな感じで言われたんです。本当にそれくらいのノリでした(笑)。その同級生が同じ仕事をしていたわけでもないし、一緒に会社をやろうという話でもなくて。「じゃあ、やるわ」と言って始めたのが今の会社です。



かなり勢いのある決め方ですね(笑)。不安はなかったんですか?



心配しかなかったですよ(笑)。貯金もほとんどなかったですし、会社をつくれば物件も必要になるし、お金もかかりますから。ただ、親にも相談しましたし、周りの人にもかなり助けてもらいました。「会社をやる」と言った同級生から不動産関係の方を紹介してもらったり、高校の先輩に相談したら起業の手続きについて教えてもらったり。同じように事業を立ち上げた先輩から、立ち上げに必要な資料をもらったこともあります。本当に周りの人に聞きながら、なんとか形にしていきました。



一人ですべて知っていたから始められたわけではなかったんですね。



全然違います。わからないことは聞いて、助けてもらいながら進めました。それで2023年12月に法人を設立して、2024年4月から事業をスタートしました。
「ダメ」で止めるのではなく、自分で経験できる場所をつくりたい





現在は、どんな場所をつくっているんですか?



児童発達支援の施設なんですけど、体を動かすことを中心にしています。療育といっても、学習系だったり自立訓練だったり、いろいろな形がありますよね。僕自身は勉強が好きではないですし(笑)、ずっと運動をしてきたので、運動を中心にした施設をやろうと思いました。



ご自身も長く運動を続けてこられていますもんね。



ただ、最初から「このプログラムをやらせよう」という考えでもなかったんです。前の職場を辞める時に、利用者さんのお母さんから「先生、次どこへ行くの?追いかけるよ」と言っていただいて、実際に片道1時間くらいかけて来てくれた子がいたんですよ。その子は、決められた形にはめられることがあまり好きではない子だったんです。だから、「プログラムをやらせる場所」というより、子どもたちが自由に遊べる場所の方がいいんじゃないかと思いました。



自由に遊べる場所…。



今って、公園でもできないことがどんどん増えていますよね。特性のある子だと、順番を待てなかったり、他の子とぶつかったりして、周りの目を気にして思いきり遊べないこともあります。だから、そういう子たちが体を動かして、いろいろなことを経験できる場所をつくりたいと思ったんです。



なるほど…。施設では、具体的にどんなふうに子どもたちと関わっているんですか?



僕のメインの仕事は、子どもたちと遊ぶことだと思っています。職員にも「まず子どもたちと遊んで」と話しています。もちろん、終わった後には記録する事務作業もありますし、僕自身は管理者なので計画書や請求の仕事もあります。でも、一番大切なのは子どもと関わることです。大人が遠慮しながら遊んでいたら、子どもも遠慮すると思うんですよね。本気で一緒に遊ぶからこそ、「この人だったら大丈夫」という関係もできると思うんです。



大人と子どもが、本気で遊ぶ…。施設の中では、どんな遊び方をしているんですか?



例えば、跳び箱を滑り台にしたり、鉄棒をブランコみたいに使ったりしています。最初から「今日は跳び箱をやります」と言うと嫌がる子もいるんですけど、遊びとして触れているうちに、「これ楽しいな」「ちょっとやってみようかな」と思えることもあるんですよね。みんなの前では恥ずかしくてできなくても、人数の少ない場所なら挑戦できる子もいます。そうやって、少しでも「できた」という自信につながればいいなと思っています。



最初から「できるようにする」ことを目的にするというより、遊んでいるうちに自然と挑戦できるようにしているんですね。



そうですね。逆上がりや跳び箱ができること自体が、一番大事なわけではないと思っています。むしろ、子どもは遊びながらいろいろな体の使い方を覚えていきますし、その中で自分に合ったやり方も少しずつ見つけていくと思うんですよ。だから、こちらが「こうしなさい」と決めるというよりは、子ども自身がやってみたいと思った時に、「じゃあ、やってみよう」とサポートするくらいがいいのかなって。



なるほど。そうした環境をつくるうえで、鈴木社長が特に大切にしていることはありますか?



できるだけ、大人が先回りして「ダメ」と止めすぎないことですね。今は安全面を重視するあまり、子どもが実際に経験する前に止められてしまうことが増えていると思うんです。でも、経験しないまま大きくなると、いざ同じようなことが起きた時に、どうしたらいいのかわからないじゃないですか。例えば子ども同士で言い合いになった時も、叩き合いになるようなところまではいかなくても、僕はまず自分の言いたいことを言わせたいんです。実際、言い合いをしていても、2、3分後にはまた一緒に遊んでいたりしますから。逆に、大人がすぐに引き離して「ごめんなさい」と言わせて終わらせてしまうと、自分の気持ちを相手に伝える経験そのものがなくなってしまう。だから、失敗したり、ぶつかったりしながら、「こうするとこうなるんだ」と自分で感じて知っていくことが大事だと思っています。
「過去は変えられない。でも、これからは変えられる」





鈴木社長自身も、学校へ行かなかった時期があったり、何度も転職したりしてきました。今、学校や会社になじめずに悩んでいる若い方に伝えたいことはありますか?



まずは、自分がやりたいことを見つけること…ですかね。ただ、やりたいことが見つかったからといって、全部が理想通りになるとは僕は思っていないんです。理想だけをずっと求め続けるのは難しいので、どこかで折り合いをつけたり、諦めたりすることも必要になる。その中で、自分がどこなら納得できるのかを考えないといけません。



鈴木社長自身も、転職を重ねながらそれを探してきたんでしょうか。



そうかもしれないですね。7回くらい転職しているので、「会社にいても自分はうまくいかないのかもしれない」と思うこともありました。それなら、自分がこれまで会社や学校に対して「嫌だな」と感じていたことを、なるべくやらない環境を自分でつくればいい。そう考えたら、「自分でやるしかないのかな」と思った部分はあります。勢いは必要ですよね。



過去に合わなかった環境を、自分でつくり直すという考え方なんですね。



そうですね。僕は「昔に戻りたい」とは全然思わないんです。中学校へ行かなかった生活も、高校の寮生活も、もう一度やりたくはありません(笑)。でも、過去は変えられないけど、これからは変えられる。過去に何があったとか、誰がどうだったとかではなくて、これから自分がどうするか。人のせいにする前に、自分でその環境をつくれるかどうかだと思うんです。もちろん、今の会社も最初からうまくいったわけではありません。辞めていった職員もいますし、その人たちに対しては、自分の至らなかった部分もあったと思っています。それでも、その人たちがいたから会社がここまで続いてきた。だから、今まで出会った人には感謝しながらやっていかなければいけないなと思っていますね。



中学時代にはほとんど学校へ行かず、その後も「自分には合わない」と感じれば、何度も仕事や環境を変えてきたという鈴木社長。一見すると遠回りにも見える歩みの中で、自分にできること、できないこと、そして「こんな環境なら自分はやっていける」と思える形を少しずつ見つけてきました。現在つくっているのも、子どもたちを決められた形にはめる場所ではなく、自由に遊び、失敗し、自分なりのやり方を見つけられる場所です。過去そのものは変えられなくても、次にどんな場所を選ぶのか、どんな環境をつくるのかは変えられる。鈴木社長自身のこれまでの歩みと、今の事業には、その考えが一貫しているように感じました。鈴木社長、本日は貴重なお話をありがとうございました。

