「柔道を取ったら、自分には何が残るんだろう。」株式会社グローバルキャスト・庄司社長が、アジア10カ国への旅で見つけた“自分にしかできない仕事”

子どもの頃から打ち込んできたものを手放す時、「自分には何が残るんだろう」と不安になったことはありませんか?

株式会社グローバルキャストの庄司大輝社長は、4歳から柔道を始め、中学・高校でも柔道を軸に進路を選んできました。しかし高校時代、全国で戦う同世代の選手たちを目の当たりにし、競技一本で生きていく道から離れることを決断します。

それでも、柔道との関わりが終わったわけではありませんでした。

大学では柔道を共通言語にアジア約10カ国を巡り、ネパールでは耳の聞こえない子どもたちとの出会いをきっかけに、柔道場の立ち上げにも挑戦。その経験から見つけたのが、「自分にしかできないこと」「自分がやりたいこと」「相手が求めていること」が重なる場所を仕事にするという考え方でした。

柔道しかないと思っていた青年が、どのように世界へ飛び出し、人材の仕事を経て代表取締役となったのか。現在の事業に込める思いと、これから描く未来まで伺いました。

お話を伺った人

株式会社グローバルキャスト

代表取締役 庄司 大輝

4歳から柔道を始め、中学・高校まで競技に打ち込む。大学時代には柔道をきっかけにアジア約10カ国を巡り、ネパールで耳の聞こえない子どもたちのための柔道場づくりにも携わる。大学卒業後は大手人材会社に入社し、介護現場での勤務や人材営業を経験。その後、外国人材支援などに携わり、現在は株式会社グローバルキャストの代表取締役を務める。

目次

「柔道を取ったら、何が残るんだろう」高校時代に考えた競技のその先

編集部

庄司社長のこれまでのキャリアについて伺いたいのですが、庄司社長といえば柔道が大きな存在だったんですよね。柔道は、何歳から始められたんですか?

庄司社長

4歳から始めて、中学も高校も柔道が強いところを選んで進学しましたね。ずっと柔道ばかりやってきたので、高校1年生ぐらいの時に「柔道しか取り柄がないな」「柔道を取ったら、自分には何が残るんだろう」と考えるようになりました。

編集部

そこまで柔道が生活の中心だったんですね。競技としては、どこまで続けようと考えていたのでしょうか。

庄司社長

実は、高校に入る時には「3年生までに、柔道で食べていけるくらいになれなかったら競技人生は終わりにしよう」と自分の中で決めていたんです。というのも、同世代には阿部一二三選手もいて、全国大会などで実際に見る機会があったんですが、「レベルが全然違うな」と。

編集部

実際に見て、そこまで違いを感じたんですね。

庄司社長

そうですね。「世界で戦っていく人って、こういう人なんだ」と思いました。勝ちたいというより、もう憧れの目で見てしまっていて。「自分が柔道で第一線を走り続けるのは厳しいな」と感じていました。試合の結果も県で2番ぐらいが最高で、高校3年生で競技としての柔道は一区切りにしたんです。

編集部

そうだったんですね。県で2番も十分すごいですけどね…!それで競技から離れた後は、どんなことをされていたんですか?

庄司社長

柔道自体は好きだったので、地元のクラブで子どもたちに教えることは続けていました。それで大学に入って、「せっかくなら大学生のうちにしかできないことをやりたいな」と思ったんです。それまで海外に行ったこともなかったので、海外にも行ってみたいと思って。そこから海外ボランティアに興味を持つようになりました。

柔道を共通言語にアジア10カ国へ。ネパールで出会った子どもたち

編集部

海外ボランティアは、どちらへ行かれたんですか?

庄司社長

最初に行ったのはネパールです。教育支援をしている学生団体を知って、そこで初めて海外に行きましたね。自分が知らなかった文化や世界に触れて、「世界ってこんなに広いんだ」と感じました。その時にたまたま、ネパールで柔道を教えている方と出会いましてね。

編集部

海外へ行った先で、また柔道との出会いがあったんですね。

庄司社長

そうなんですよ。その方は、柔道を単なるスポーツとしてではなく、礼儀なども含めた教育として教えていて、「すごい活動だな」と思ったんです。僕は英語もそんなに話せなかったので、それなら柔道を共通言語にして世界を旅してみようと思って。そこから大学生の間に、アジア10カ国くらいをバックパッカーで巡りました。

編集部

柔道を共通言語に世界を旅するって、面白いですね…! 現地では、どうやって柔道をする場所や仲間を見つけていたんですか?

庄司社長

現地の柔道場のアポイントなんて取っていなかったので、バーなどで「柔道をしながら旅している。柔道ができるところを知らない?」と聞いて、クラブを教えてもらったんです。そこで一緒に柔道をして仲良くなったら、柔道ができる知り合いの方を紹介してもらうんですよ。そんなふうに人とのつながりを頼りに、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、インドネシア、ラオス、タイ、カンボジアなどを巡っていきました。

編集部

事前に行き先を全部決めるのではなく、現地で出会った人から次の行き先が広がっていくんですね。

庄司社長

そうですね。結果的には、各国で合わせて1000人くらいの方と柔道を通じて交流しました。それで旅の最後に、最初に訪れたネパールへもう一度戻ったんですが、そこで柔道大会に参加した時に、耳の聞こえない子どもたちが観戦に来ていたんです。

編集部

耳の聞こえない子どもたち…。

庄司社長

はい。通訳の方を通して話を聞くと、「今日初めて柔道というスポーツを知って、やってみたいと言っている」と。ただ、ネパール柔道連盟の方も応援したいけれど、柔道場を建てるお金も柔道着も足りないという話でした。

編集部

柔道をやりたいという子どもたちがいるのに、始められる環境が整っていなかったんですね。

庄司社長

そうなんです。僕が偶然そこへ行ってその子たちのことを知ったわけですけど、当時この状況を知っている日本人は自分くらいだと思ったんですよ。だったら、これは自分にしかできないことなんじゃないかと。それで帰国してから大学にも相談して、プロジェクトとして動き始めました。資金を集めるために企業をリストアップして、電話もかけましたね。テレアポなんてやったこともなかったので、今振り返ればめちゃくちゃだったと思います(笑)。

「できる・やりたい・求められている」。3つが重なった場所が、自分の仕事

編集部

慣れないことにも挑戦しながら進められたんですね。本当にすごい行動力です…。それで、その柔道場づくりは、最終的にどうなったんですか?

庄司社長

無事に資金が集まって、柔道場をつくることができました。今も運営されていますよ。

編集部

わあ、それは良かったですね!庄司社長がそこまで行動できた原動力って、一体何だったんでしょう?

庄司社長

後から振り返って、「なんであんなに頑張れたんだろう」と考えたことがあるんですけどね。その時は、本当にワクワクしていたんだと思います。英語も得意ではなかったですし、海外の文献を読むことも、企業へ電話することも、それまでやったことがありませんでした。でも、不思議と苦ではなかったんですよ。それで気づいたのが、「自分にしかできないこと」「自分がやりたいこと」「相手が求めていること」の3つが重なっていたということでした。あの時は、自分がたまたま子どもたちの状況を知って、何とかしたいと思った。その気持ちがあったから、慣れないことにも取り組めたんだと思います。

編集部

なるほど。その経験は、今の仕事にも生きているんですか?

庄司社長

かなり生きてますね。この3つが重なる範囲を、自分のできることを増やしながら広げていけば、もっといろいろな人に価値を届けられると思っています。それに、自分自身もワクワクしながら仕事ができますよね。そこが今でも、僕の仕事の軸になっています。

編集部

ちなみに、柔道場ができて、子どもたちの様子はいかがでしたか?

庄司社長

柔道をきっかけに、現地の子どもたちと外国人の柔道家、日本人の旅行者、ネパール国内の選手など、いろいろな交流が生まれました。それまで耳が聞こえないことで、健常者や外国人と関わる機会が少なかった子たちにとっても、「自分には柔道がある」と思えるきっかけになったんじゃないかと思っています。ちなみに、その道場で柔道を学んだ男女が、その後ネパール代表として国際大会に参加するところまでいけたんですよ。

編集部

えっ、庄司社長の道場から、国際大会に出場する選手まで誕生したんですか!

庄司社長

そうなんですよ。大学生の時に始めたことが、そこまで続いていくとは全然想像していませんでした。この経験を通じて、人との出会いによって広がる可能性って、本当に大きいなと思いましたね。それもあって、僕自身の信念として「出会った人すべてを笑顔にする」という言葉を大切にしています。社員や仕事で関わる方だけではなく、それ以外で出会った人も含めて、少しでもその人にとってプラスになる人間でありたいと思っています。

介護現場に1年間。「働く人」と「雇う企業」の両方を知って人材の仕事へ

編集部

大学時代は本当にいろいろな経験をされてきたんですね。卒業後は、どんな道に進まれたんですか?

庄司社長

新卒で大手の人材会社に入りました。2020年だったので、ちょうどコロナ禍に入ったタイミングですね。それで、配属先を決める中で、僕は介護・ヘルスケア業界の人材を扱う部署を選んだんです。ネパールで柔道場をつくる時に支援してくださった方の中に、医療や福祉に関わる方がいらっしゃったので、もともと興味のある分野だったんですよ。

編集部

そういうつながりがあったんですね。入社後は、どんなお仕事から始められたんでしょう?

庄司社長

実は、最初から人材営業をしていたわけではなくて、介護の現場で働いていたんです。「まず介護をやってみないか」と言われて。僕自身も、現場を知らないまま人に仕事を紹介するより、何が大変なのか、どこにやりがいがあるのかを知りたいと思ったんですよね。それで1年間、埼玉県内の特別養護老人ホームで介護士として働いて、その後は人材営業の仕事に移りました。

編集部

なるほど。介護の現場で働いた経験は、その後の人材営業でどのように役立ったんですか?

庄司社長

求職者の方には「介護はこういう仕事ですよ」「最初の1か月はここが大変ですよ」と、自分の経験から話すことができました。企業側に対しても、現場で働く人が何に困るのかわかった上で話ができたのは、すごくよかったですね。

編集部

そうした経験を経て、現在はグローバルキャストの代表を務められているわけですけど、具体的にはどのような事業をされているのか、改めて伺っても良いでしょうか?

庄司社長

グローバルキャストでは、製造や物流を中心に人材派遣・人材紹介を行っています。現在はグループの中で、日本人材と外国人材の両方を扱っているので、企業の状況に合わせて幅広く提案できるのが特徴ですね。例えば、日本人の採用だけでは難しいのであれば外国人材という選択肢もありますし、その逆もあります。

編集部

なるほど。では、そうした人材支援の仕事で、特に大切にされていることは何でしょう?

庄司社長

人材会社では、どうしても「何人入社したか」という数字が目標になりやすい傾向にあります。もちろん、採用されることも大切ですけど、その後も長く働いてもらって初めて、本人にとっても企業にとっても意味があると思うんですよ。だから、採用して終わりではなく、定着まで支援することを大切にしています。派遣をお見合い期間のように使うことも含めて、その人と企業にとって何が一番いいのかを考えたいですね。

「出会った人すべてを笑顔にする」。2034年へ広げる仕事の選択肢

編集部

先ほど外国人材の支援についてもお話がありましたが、日本へ働きに来る方々に対しては、どんな思いをお持ちなんでしょうか?

庄司社長

日本へ来る方の中には、「日本が好き」「日本で夢をかなえたい」という思いを持って来てくださる方もたくさんいます。だからこそ、日本に来た後に「こんなはずじゃなかった」と思って帰る人を一人でも減らしたいんです。本人が日本で夢をかなえるためのサポートをしたいですし、企業にもその人の可能性やポテンシャルを知ってもらいたいと思っています。

編集部

そうした思いも踏まえて、今後はグループ全体としてどんなことを目指しているんですか?

庄司社長

グループとしては、2034年までに売上300億円という目標を掲げています。

編集部

300億円…!!

庄司社長

ただ、金額だけを追っているわけではなくて、それだけ多くの関係者に価値を届けられたかを見る一つの指標だと思っています。それから、もう一つ大きな構想があって、2034年までに50事業をつくることも目指しています。

編集部

50事業ですか!それは、人材以外の分野にも広げていくということでしょうか?

庄司社長

そうですね。人材だけに限らないです。もともと今ある事業も、お客様や働く方が困っていることを、一つずつ事業にしてきたものですから。例えば、日本語を学ぶ場が必要なら教育、不動産で困っているなら住まい、企業が海外販路をつくりたいならその支援、といった形ですね。「出会った人すべてを笑顔にする」という考え方に沿って、困っている人がいるなら、それを解決できる事業を増やしていきたいと思っています。一歩ずつ着実に、でも大胆に、というところは大切にしていきたいですね。

編集部

高校時代には「柔道しか取り柄がない」と感じていた庄司社長ですが、その柔道をきっかけに世界へ飛び出し、さまざまな経験を重ねてこられたんですね。特に印象的だったのは、最初から自分のやりたい仕事が決まっていたわけではなく、出会った人たちとの関わりを通じて、自分にできることを広げてこられたことです。一つのことに打ち込んできた経験は、その道を離れた後も、新しい可能性につながっていく。庄司社長のお話を伺って、そんなことを感じました。庄司社長、本日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

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