あれもこれも「オーガニック」と書けてしまう世界で。グローバルオーガニックグループ株式会社・ムファウメ社長が、”自分たちで作る”と決めるまで

やりたいことは、ぼんやりとある。でも「自分に何ができるのか」と聞かれると、うまく答えられない。そんなふうに、立ち止まっていませんか?
「私にできることって、何なのかな」。その問いを、節目のたびに自分へ向けてきたのは、グローバルオーガニックグループ株式会社の代表、ムファウメ薫社長です。ロンドンで日本のアニメを世界へ届ける仕事から、南房総でのオーガニック製品づくりへ。仕事の形を、何度も変えてきました。
なぜアニメの仕事からオーガニックの世界へ移ったのか。なぜ輸入から製造へ舵を切ったのか。そして、いま一緒に働きたいのはどんな方か。じっくり伺いました。読み終わる頃には、自分に何ができるのかを考えるための手がかりが、見えてくるはずです。
グローバルオーガニックグループ株式会社
代表取締役 ムファウメ薫
ロンドンでレコード会社のグループに勤め、仲間と立ち上げた会社で日本のアニメを海外へ流通させる仕事を12年間手がける。東日本大震災を機に日本へ戻り、食と健康への関心から、海外のオーガニック食品や化粧品の輸入販売を開始。2015年に現在の会社を設立。いまは千葉県南房総市を拠点に、自社での製品づくりへと事業を広げている。不耕起栽培による米づくりも13年目を迎えた。
ロンドンで、日本のアニメを世界へ
編集部ムファウメ社長は、もともとロンドンで音楽や映像のお仕事をされていたと伺いました。いまのオーガニックの事業とは、だいぶ景色の違う出発点ですね。



そうですね。イギリスのアイランド・レコードというレコード会社のグループにいて、音楽や映像のコンテンツを扱っていました。そのグループの中で、私を含めた4人で立ち上げた会社があるんです。「Manga Entertainment」という会社で、もう30年ほど前になりますね。



Manga、というと、あの漫画やアニメの。



はい。日本のアニメの版権を取得して、イギリスやアメリカで流通させるレーベルです。当時はNetflixのようなストリーミングもない時代でしたから、映画館で公開したり、VHSにして販売したり。そうやって届けていました。



日本のアニメが世界で当たり前に観られるようになる、ずっと前の話ですね。



12年ほどやったその後、M&Aなどいろいろありまして、私はその会社を離れることになったんです。それからしばらくは、特に何もしていない時期がありました。



走り続けたあとに、ふっと訪れた空白の時間。長く駆け抜けてきたあとだと、その静けさは大きかったかもしれませんね。
震災の2日後。「私にできることは、何か」



その空白の時期に、大きな転機があったと伺いました。



ちょうど日本に来ていたんです。母が仙台の出身でして、会いに…。3月9日に来て、それでその2日後に、震災が起きたんですよ。



東日本大震災、ですね…。



なんでこのタイミングで戻ってきたんだろうと思いながら、ひとまずは、そのまま日本にいることになって。



来日した2日後に、あの日が。偶然とは思えないタイミングですね。



あのとき、食べ物に関する問題がいろいろ出てきたじゃないですか。これは安全なのか、安心なのかわからない、と。みんなが自分の体や健康に敏感になっていて、ここから時代が変わっていくんじゃないかと思ったんです。



たしかに、食べるものへの目が一気に変わった時期でしたね。そこから、どう動かれたんですか?



もともと健康やオーガニックには関心があったので、安全な食べ物や、私がパーソナルケアと呼んでいる化粧品を、みなさんに届けられないかなと思って。私にできることって何なのかな、と考えたときに、海外とのパイプがあった。だったら、そういう食品や化粧品を輸入して販売するのはどうか、と。それが今の会社の始まりなんですよね。



手元にあるものから、できることを見つけたということですね。ちなみに、会社の設立は2015年ですが、その前の数年は何をされていたんですか?



いろいろ実験していました。オーガニックのカフェに投資してみたり。ただ、自分が現場に立ってできることは何かと考えたときに、農家から実際にその人の手に届くまでのプロセスに、自分がどう関われるのかな、と。ちょうどその頃、友人がアメリカで立ち上げたオーガニックの化粧品ブランドが大きく伸びていて、日本での権利がまだ決まっていなかったんです。それで弊社が契約して、輸入と販売を始めました。



作る人と、使う人のあいだ。そこに自分の居場所を見つけて、事業が動き出したんですね。
都内を離れ、南房総で暮らす



その事業の拠点が、都内ではなく南房総というのも印象的です。何か理由があったんですか?



単純に、都内に住みたくなかったんですよ。私はずっと都会で育ってきたので、もっと実践的な暮らしをしていかないといけないな、と思って。それで、こちらに移り始めたんです。



都会で育った方が、あえて実践的な暮らしへ。その実践的な、というのは…?



自分で食べ物を作って、自然にもう少し近寄らないと、災害みたいな危機が起きたときに、生きていくための杖がない。そう思ったんです。だから、こちらで暮らしながら、今は田んぼなんかもやっていますね。



買うのではなく、自分で作る…。ちなみに、田んぼはもう、どれくらい続けているんですか?



もう13年目ですね。不耕起栽培といって、土を耕さずに田んぼを管理する方法です。あとは、パーマカルチャーという環境デザインの資格も持っていまして。自然だけでなく、人と人との環境も含めて全体をデザインしていく考え方なんです。それから、猟もやっています。



ものづくりに、米づくりに、猟まで。ずいぶん幅がありますね…!



柱は1本だけだと心もとないので、3本柱くらいの感じですね。会社としては、いまは製造がメインです。そのうえで、自分のライフワークとして田んぼや猟があるという形です。



暮らしと仕事が、地続きになっている。南房総という場所そのものが、事業の土台にもなっているんですね。
原料だけを調達して、自分たちで作る





いまは製造がメインだと伺いましたが、輸入から製造へ大きく舵を切ったのはなぜだったんですか?



きっかけはコロナですね。弊社は通販もやっていたので売上は保てたのですが、店舗はどこも苦しい状況でした。そのとき私がいちばん懸念したのは、輸入業という立場で、これから流通の問題がどんどん出てくるんじゃないか、ということです。為替の問題も、そこで見えてきたんです。



海外から運んでくること自体が、これから重くなっていく。



そうなんです。その両方を見たときに、輸入という業種はどんどん厳しくなっていくだろうと。ただ、弊社にはある程度ノウハウがあるので、原料だけを調達して、製造業に切り替えていったほうがいいんじゃないかと考えました。2、3年ほど考えて、正式に始まったのが2024年です。ブランドとして販売を開始できたのは、2025年の秋でした。



考え始めてから、店頭に並ぶまでに数年。原料は、世界各地から集めていらっしゃいますよね。そのつながりは、どうやって作ってきたんですか?



輸入業をやっていると、世界のあちこちでいろんな方にお会いするんですよ。その方たちのネットワークから、また生産者とのパイプができて。これはもう、蓄積ですよね。1年でできるものではなくて、10年近くやってきたから、今があります。



10年分のご縁が、そのまま原料になっている…。ただ、自然由来のものは、品質や使い心地の面で開発が難しいイメージがありますが、実際どうなんでしょう?



いい質問ですね。薬と一緒だと思うんです。漢方と、製薬会社が作る薬。速効性でいえば、化学的に作られたもののほうがあると思います。ただその反面、長く飲み続けたときにどうか、という話も出てきますよね。



たしかに…。副作用が気になります。



自然由来のものは時間はかかりますが、体の細胞が受け入れやすい。そういう違いなんです。



速さで選ぶか、体になじむかで選ぶか…。消費者としては、成分表記やパッケージを見て正しく選びたいですけど、正直オーガニックかどうかって、そこに「オーガニック」と書いてあるかどうかでしか見分けがつかないです。



実は化粧品って、オーガニックの成分が0.1%入っていれば「オーガニック成分配合」と書けてしまうんです。成分表示のルールも独特で、ヤシ由来の成分でも、表記だけ見ると化学成分のように見えてしまう。自然由来かどうかは、そこでは区別されないんですよね。



棚に並ぶ商品のパッケージに「オーガニック成分配合」と書いてあれば、なんとなく良さそうだと思って…つい手に取ってしまっていました。



そうなんです。だから業界にいる人でないと、なかなか判断がつかない。今こうしてお話ししているように、伝えることが、私にとってはいちばんのやりがいなんです。私も知らないことがたくさんあるので、お互いに話を聞きながら、キャッチボールをして学びを高めていく。それが面白いんですよね。



言葉だけが独り歩きしやすい世界だから、自分たちの言葉で伝える。そこに手応えがあるんですね。
私とは違う世界観が、重なっていけばいい





今って、何人くらいのチームなんですか?



6〜7人ですね。デザイナー、製造とチームがあって、マーケティングは私が見ています。開発にも関わっていますね。小さなチームなので、1人が複数の役割を持っています。メインの役割はあるけれど、サブもある、という形です。



それだけの人数で、原料の調達から製造まで。これから仲間を迎えるとしたら、どんな方に来てほしいですか?



マーケティングもできるけれど、営業もできる方ですね。いまは私がこうしてコミュニケーションを取っていますが、1人でやるより、何人かでやったほうがいい。営業の担当がもう1人いれば、その方の世界観は私とは違いますし、話す相手も話し方も違う。そこが重なっていくのがいいなと思っています。



同じ世界観の人を増やすのではなく、違う世界観が重なるほうがいい。マーケティングの方を求めているのには、何か背景があるんですか?



いまはもう、ソーシャルの時代ではないと思っているんです。私はアテンションメディアと呼んでいて、インスタを開いた瞬間、どこに注意を向けさせるか。そこにどれだけ長く居させるか、という世界ですよね。その波にもある程度は乗らないといけませんが、弊社としては、もっとコミュニティベースに戻したいんです。



注意を奪い合う場所から、コミュニティへ。具体的には、どんな形を考えているんですか?



たとえばLINEのグループでお客様と情報交換をしたり、お悩みを聞いたり。普段はオンラインでやりとりして、年に1回か2回は、みんなで集まる。海外のネットワークがあるので、お茶を作っている生産者に会いに行こう、ということもできますよね。



作り手のところまで、一緒に会いに行く。そこまで含めて仕事にしていくなら、確かに1人では足りないですね。最後に、やりたいことはあるけれど動き出せない、という20代に伝えたいことはありますか?



いま大学生の卒業論文のサポートに関わっているんですが、見ていて面白いのは、何かやりたいという気持ちは、みんなちゃんと持っているということなんです。ただ、それを伝えるのが少し苦手で。こちらから質問したり、引き出したりしないと、自分から表現するところまでいきにくいんですよね。



やりたい気持ちは、もうそこにある。足りないのは、それを外に出す機会のほうなんですね。



そう思います。それに、昭和や平成の頃のような働き方は、これから働きに出る方には、もう合わないと思うんです。今の若い方は、もっと新しいやり方を知っていますから。



前の世代のやり方に、無理に合わせなくていい。そう言ってもらえると、心強いです。



ええ。あとは、自分にできることは何かな、と考えて、手元にあるものから始めればいいんです。私自身も、海外とのパイプがあるんだから、それを使おう。そう考えたところから始まりましたから。



日本のアニメを世界へ届けた経験も、食の安全に向き合った日々も、いつも「私にできることは何か」から始まっていました。特別な何かを探しに行くのではなく、いま手元にあるものから始めればいい。南房総から世界を相手にしている方の答えは、とてもシンプルでした。本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。

