髪の毛1本より細い世界で|株式会社田野井製作所 田野井優美社長が語る、日本の物づくりと人の育て方

「自分が何に向いているのか、正直よくわからない」。就職や転職を考えるとき、そんなふうに立ち止まってしまう人は多いはずです。

株式会社田野井製作所の田野井優美(たのい ゆみ)社長は、いま創業100年を超える会社の5代目を務めています。ただ、もともと社長になるつもりはまったくなかったといいます。4兄弟の紅一点だった田野井社長がその道に進んだのは、ある日、家族全員から「社長はゆみだろう」と推薦されたことがきっかけでした。

自分の向き不向きは、案外まわりのほうがよく見ているのかもしれません。この記事を読み終わる頃には、そんな視点が少し腑に落ちるはずです。

お話を伺った人

株式会社田野井製作所

代表取締役社長 田野井 優美

1923年創業、精密工具「タップ」(ネジをはめ込む穴の内側にネジ山を作る工具)の製造販売を手がける会社の5代目。4兄弟の紅一点として生まれ、兄弟全員が同社に入社するなか、2008年のリーマンショックを契機に経営へ加わり、2013年の創業90周年に父から社長を引き継いだ。同社では初の女性社長として、今年で創業103年を迎える会社の舵を取る。

目次

「社長はゆみだろう」家族に指さされて、5代目になった

編集部

田野井社長は、いま創業100年を超える会社の5代目でいらっしゃいますが、もともと社長になることを視野に入れていたんですか?

田野井社長

それが、まったくなかったんですよ。私は4兄弟なんですけど、兄が3つ上にいて、私が2番目。1つ下に年子で双子の弟がいて、実は全員が会社に入っているんです。

編集部

4兄弟全員が同じ会社に、というのは珍しいですね。

田野井社長

そうなんです。しかも女は私1人で。一般的には長男が継ぐのかな、という空気があると思うんですけど、父も「入れ入れ」と強制したわけじゃなくて。私も「何か手伝えることがあれば」くらいの気持ちで入ったので、自分が社長をやるなんて考えてもいませんでした。兄か誰かがやるんだろうな、と。

編集部

では、どこで流れが変わったんでしょう?

田野井社長

実家でみんなで食事をして、そのあと飲んでいたときに、父がぽろっと言ったんですよ。「まさか4人とも会社に入るとは思わなかった。でも入った以上、社員のみんなを背負う責任がある。もし4人の中で社長をやるとしたら、誰が向いてると思う?」って。そうしたら、その場にいた全員が私を指さして「社長はゆみだろう」って。

編集部

ご家族全員が、迷わず田野井社長を…!

田野井社長

私は「いやいや、女だし無理だよ」ってその場は流したんですけど、たぶん父の中には残ったんでしょうね。決定的だったのは、2008年のリーマンショックです。100年に1度と言われた厳しい局面で、父が「今の体制で乗り越えるには、若手も起用して機動的な組織にしていく必要がある」と。年が明けたお正月に、「お前を経営に加える」と言われたんです。当時は主任だったので、一気に立場が変わって、戸惑いながらのスタートでした。

編集部

ご自身では意外でも、まわりは早くから見ていたのかもしれませんね。振り返って、思い当たることはありますか?

田野井社長

言われてみれば、子どもの頃から従兄弟が集まると、「これ、みんなに伝えといて」と任されるのはいつも私で。「ゆみちゃんに言っておけばまとめてくれるだろう」という役回りが多かったんです。兄は「自分は技術を掘り下げたいタイプ」、弟も「社長はゆみちゃんだよね」と言っていて。不思議と、まわりの中では自然な流れだったのかもしれません。

編集部

自分の向き不向きは、案外まわりのほうがよく見ている。これは、進む道に迷っている人にとっても、ひとつのヒントになりそうです。

社長も新人も、同じ温度で。父の代から変えたこと

編集部

4兄弟のなかで見出されて社長になった、というお話でしたが、実際に引き継いでから、会社をどう変えていったんですか?

田野井社長

私自身、父が社長だったときに、社員として社長を見ていた時期があるんです。だから、父がやっていなかったことで「こうだったらいいな」と思っていたことを、自分が社長になってから取り入れてきました。

編集部

たとえば、どんなことでしょう?

田野井社長

一番は、コミュニケーションが取りやすい環境にしたい、ということですね。おかげさまで「父の代より話しやすくなった」「相談しやすい場がある」と言ってもらえることは増えました。「社長になってくれてありがとう」と面と向かって言われることはないんですけど、そういう空気は少しずつ変わってきたのかなと思っています。

編集部

さきほどから話していても、とても話しやすい雰囲気を感じます。代表取締役という立場だと、もっと構えてしまう方も多い気がしますが。

田野井社長

それが、相手が幹部でも一般社員でも、基本的に同じ温度なんですよ。社外の方から「社内だとキャラが違うんですか?」と聞かれることもあるんですけど、「本当にこのままです」って。お客様先でもどこでも、このあり方は変わらないですね。新入社員には、仕事の中身を私が細かく言うことはないですけど、「今日1日の始まりだから、元気に挨拶しようね」くらいの声がけはします。

編集部

立場で態度を変えない。働く側からすると、それがいちばん安心できます。

髪の毛1本より細い世界で、愚直に作り続ける

編集部

会社の雰囲気が伝わってきました。そのうえで、田野井製作所さんが作っている「タップ」について、あらためて教えていただけますか?

田野井社長

タップって、聞いてもピンとこない方がほとんどだと思うんです。ネジそのものではなくて、ネジをはめ込む穴の内側に、螺旋状のネジ山を作るための精密工具なんですね。弊社は1923年の創業当時から、このタップの製造販売をずっと続けています。

編集部

どのくらいの精度が求められる世界なんでしょう?

田野井社長

図面には「この範囲内で作ってください」という公差が書かれるんですけど、それが何十ミクロンの世界なんですよ。ちなみに、髪の毛1本ってどのくらいの太さかご存じですか?

編集部

うーん、見当もつかないで…。

田野井社長

だいたい50から100ミクロンと言われているんです。弊社の物づくりは、その髪の毛1本よりさらに細い範囲に、精度を収めていくイメージなんですね。

編集部

髪の毛より細い誤差を、毎回そろえる。それは、想像するだけで気が遠くなります。

田野井社長

以前、海外で「なぜ日本製は人気なのか」という話になったとき、答えは「壊れにくいから」だったんです。なぜ壊れにくいのかを突き詰めると、「この範囲で作ってください」という基準が、他国はもう少し広い。日本はもっと狭くて、その狭いなかにしっかり作り込む。合わないものは、きちんと見極めて外していく。そういうことが積み重なって、いい物づくりになっているんだと思います。

編集部

それは、日本の職人気質のようなものなんでしょうか。

田野井社長

愚直に、真面目に、同じことを繰り返し続けられる。そういう人が、日本にはきっと多いんだと思います。私自身は実際に機械でタップを作ることはできないんですけど、現場で製品を作ってくれている社員を見ると、本当に「かっこいいな」「すごいな」と思うんですよ。

編集部

同じものを寸分たがわず作り続ける。まさにプロの仕事ですね。田野井社長がその現場を心から誇りに思っているのが、よく伝わってきます。

技術は教えられる。でも「素直さ」だけは教えられない

編集部

現場への誇りが伝わってきました。その技術は、未経験の方でも身につけていけるものなんですか?

田野井社長

実は、弊社は未経験の方がほとんどなんですよ。入社したら、まず品物がどう作られているかの工程を見てもらって、いろんな工程に入るなかで「この方はこっちが向いていそうだな」というのが見えてきます。そこから、業務に必要な項目を細かく分けて、先輩や上司とマニュアルに沿って教えていくんです。

編集部

段階を踏んで、ということですね。

田野井社長

はい。「レベル1からレベル2、レベル2からレベル3」というふうに、半年に1回、一人ひとりの教育計画を作っています。毎月その進捗を上司と確認して、できなかったところは、なぜそうなったのか、どうすればできるようになるかを一緒に見ていく。お客様の注文が立て込んで予定どおり進まなかったときは、計画のほうを柔軟に変えていきます。

編集部

一律ではなく、その方に合わせて進めていくんですね。同じ教育を受けても、現場で活躍する方には、何か共通点はありますか?

田野井社長

手先の器用さもあると思うんですけど、私が感じる一番の違いは、本当に「素直かどうか」ですね。言われたことを、まず「はい」と受け入れてやってみる。わからないことはその場で聞いて、メモして、言われたとおりにやってみる。その素直さが、成長の速さにそのまま出るんです。

編集部

素直さ、ですか。

田野井社長

弊社の指針にも、採用の一丁目一番地として「明るくて元気で素直な人を第一条件とする」と書いているんです。仕事の中身は、早い遅いの差はあっても追い追いできるようになる。明るさや元気も、毎朝挨拶を続けていれば身についていく。実際、はじめは挨拶が控えめだった方も、工場見学のお客様をみんなでお迎えする練習を重ねるうちに、今ではしっかり「いらっしゃいませ」と言えるようになりました。でも、素直さだけは、なかなか教えられないんですよ。

編集部

技術や元気は後からでも育てられる。でも素直さは、その人が持って入ってくるもの。だから第一条件なんですね。

田野井社長

そうなんです。素直な方は可愛がられますし、お客様先でも「まだ経験がないので教えてください」と言える。そこで見栄を張らずに聞けるかどうかで、伸び方は大きく変わってきます。素直な方のほうが、成長も習得も、結果的に成果も早いんですよね。

目指すのは「ネジ立てなら田野井さん」。ご縁でつながる会社へ

編集部

採用では、いま特に力を入れているポジションはありますか?

田野井社長

今は営業ですね。年に2人ずつは採りたいと思っていて、新卒も中途もアプローチしています。ただ、弊社の営業は「これを買ってください」と売り込むスタイルではないんです。「ドクターセールス」と呼んでいて、お医者さんが患者さんを診るように、お客様先に赴いて、どんな加工でどんなことが起きているのかを一緒に調べるんですよ。

編集部

製品を渡して終わり、ではないんですね。

田野井社長

原因が弊社のタップにある、という事も無い訳ではないのですが、実はそうでないことの方が圧倒的に多いのです。だからこそ、親身になって課題を解決できる人財でありたくて。「ネジ立てのことなら田野井さんに」と、真っ先に思い出してもらえる会社になりたいんですよね。

編集部

そういう営業なら、未経験でも「素直さ」が効いてきそうです。一方で、長く働き続けてもらう仕組みづくりにも力を入れていると伺いました。

田野井社長

転職の選択肢も増えて、働く場所を選びやすい時代ですからね。だからこそ、「ずっと長く働き続けたい」と思える会社をどう作るかを、大切なテーマだと思っています。現場の負担を減らすために、去年は協働ロボットを11台入れました。人にしかできない付加価値のある仕事は人に任せて、単純な繰り返しの作業はロボットに。生産性が上がって利益が出れば、それを働く人に還元できますから。

編集部

人を減らすためではなく、人が長く働けるようにするための仕組みなんですね。最後に、これから働く若い人へ、田野井社長が一番伝えたいことを聞かせてください。

田野井社長

私が一番大事にしているのは、「ご縁のおかげ様」という気持ちなんです。同じ時代に、同じ日本で、全国に何百万社とある会社のなかから、弊社を選んでくれて、弊社もあなたを選んで一緒に働く。それって、奇跡だと思うんですよ。一度しかない人生ですから、その時間を、お互いにとってより良いものにしていきたい。実は私、いつか素敵なご縁をつなぐスナックをやるのが夢なんです(笑)。肩書きを一切抜きにして、人と人のご縁が広がっていったら、素敵な世の中になるんじゃないかなって。

編集部

向いている道はまわりが見つけてくれて、育つかどうかは素直さで決まって、続いていくのはご縁のおかげ。肩書きや経歴で人を測らず、目の前の一つひとつの出会いを大切にする。その姿勢は、これから社会に出る読者にとっても、迷ったときにそっと背中を押してくれるお守りのような言葉になるはずです。今日は素敵なお話を、ありがとうございました!

株式会社田野井製作所_採用ページ

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