「10年後には、祭りがなくなっているかもしれない。」とらでぃっしゅ株式会社・片桐社長が、大学在学中に“祭り好き”を仕事にした理由

生後3か月の頃から祭りの場に連れて行かれ、3歳頃には舞を始めていたという、とらでぃっしゅ株式会社の片桐萌絵社長。
家族も祭りの担い手で、片桐社長にとって祭りは、幼い頃から当たり前にそばにある存在だったそうです。
しかし高校時代、コロナ禍によって祭りの中止が相次ぎます。その後、大学受験が思うようにいかず立ち止まった時期に、片桐社長を再び動かしたのも祭りでした。
大学1年生で学生団体を立ち上げ、各地の祭りを支援。その活動を続ける中で担い手不足の深刻さを知り、大学在学中に起業しました。
現在は、地域の祭りと参加したい人をつなぐサービス「渡り衆」を展開しています。
なぜ片桐社長は、社会人経験を積んでからではなく、学生のうちに動き始めたのでしょうか。祭りを仕事にした理由や、その先に目指す未来について伺いました。
とらでぃっしゅ株式会社
代表取締役 片桐 萌絵
祭りとともに育ち、幼少期から地元の伝統的な祭りに参加。高校時代、コロナ禍で祭りが中止されたことをきっかけに、地域文化や祭りの継承について考えるようになる。大学1年生で祭りの学生団体を立ち上げ、各地の祭りをボランティアで支援。活動を続ける中で、祭りの担い手不足をはじめとする課題を実感し、大学3年生で起業。現在は大学に在学しながら、とらでぃっしゅ株式会社の代表取締役として、祭りと外部の担い手をつなぐ「渡り衆」などを展開している。
祭りがなくなったら、死んでもいい

編集部片桐社長にとって祭りって、小さい頃から身近な存在だったんですよね。



そうですね。地元に伝統的な祭りがあって、父も担い手ですし、親戚も担い手なんですよ。私は、生後3か月くらいからその祭りの場に連れて行かれて、3歳の頃には舞を始めています。本当に、家族が祭りと一緒に生きているような環境で育ったんですよね。



生後3か月で祭りデビュー…!そこから「祭りを仕事にしよう」と思うようになった大きなきっかけは、一体何だったんでしょう?



ちょうど高校3年間がコロナ禍と重なって、祭りがなくなってしまったんです。地域から活気がなくなっていくのも、目に見えてわかりました。そこで初めて、「あぁ、祭りが人と人との縁をつないでいたんだな」と感じましたね。



片桐社長自身にとっても、相当大きな喪失だったんじゃないですか?



そうですね。私、よく「祭りがなくなったら死んでもいい」と言うくらいなので(笑)。それくらい、あって当たり前のものだったんですよ。人生そのものというか。



毎日食べていたものが突然なくなるくらい、「あるのが当然」だった。



まさにそんな感じですね。ただ、なくなって寂しいだけではなくて、高校時代は「どうして祭りってこんなに地域の人たちに大切にされてきたんだろう」と考えるようにもなりました。どうしたら再開できるのか、言葉にされていない祭りの価値って何なんだろう、と。そこを研究することに興味を持つようになって、今も大学では似たテーマを研究しています。
「自分には何があるんだろう」。空っぽになった私を救ってくれた、知らない町の祭り





高校卒業後に大学へ進学されていますけど、その頃にも一度、大きく立ち止まった時期があったんですよね。



はい。私、大学受験があまりうまくいかなくて、行きたかった大学には行けなかったんです。でも周りが当たり前のように進学するので、私も意思に関わらず進学したんですけど、入ってから半年くらい、引きこもるような時期がありました。



半年間も…。



思い返せば、私はずっと成績は良い方で、自分のアイデンティティは「頭がいいこと」くらいしかなかった…。でも、大学受験がうまくいかなかったことで、それが一度崩れてしまって。気づいたら、自分が空っぽになったような感覚でした。



自信を、なくしてしまったんですね…。



でも、たまたま遊びに行った、全然知らない地域の祭りがあって。地元の人たちが私のことを受け入れてくださって、半分地元の人みたいな感じで一緒に笛を吹いて、地域を回らせてもらったんです。そのときに、「やっぱり私、祭りがすごく好きだったんだ」と気づきました。



また動き始めるきっかけになったのが、祭りだったんですね。



そうですね。同時に、コロナ禍で感じていた地域の活気のなさや、担い手不足みたいな問題も、外から来た人のエネルギーで変えられるんじゃないかと思ったんです。それが今の会社につながる最初の発想でした。



そこから大学1年生で、学生団体を立ち上げたんですよね。



はい。その年の10月に学生団体を立ち上げて、いろいろな地域の祭りをボランティアで手伝うようになりました。
「強くなってから」では遅い。大学生のまま起業した理由





学生団体として活動するだけではなく、その後会社までつくられていますよね。大学卒業後に就職して、経験を積んでから起業する道もあったと思うんですけど、なぜ在学中だったんでしょう?



学生団体を始めてから、1年間で100件以上、いろいろな地域の祭りの関係者と話す機会があったんです。そこで、みんな口をそろえて「来年はできないかもしれない」と言っていて。実際に、祭りが少なくなっているというデータもありました。



想像していた以上に、祭りの継続に危機が訪れていたんですね。



そうですね。周りからは、「大学を卒業してからでもいいんじゃないか」とか、「10年くらい社会人経験を積んでから起業してもいいんじゃないか」とすごく言われました。でも、10年後に起業しても、助けたかった人たちがもういないかもしれないし、祭り自体がなくなっているかもしれないと思ったんです。



自分の準備が整うまで、祭りの方が待ってくれるとは限らない。



そうなんです。もちろん「自分がもっと強くならないといけない」とも思いました。でも、自分が強くなったときに、助けたかった人がもう目の前にいなかったら意味がない。だったら、今は比較的自由に挑戦できる環境でもあるし、やってしまった方がいいと思いました。



実際、学生団体からビジネスへ変えることへの迷いはなかったですか?



ボランティアを続ける中で、「ボランティアだけではできないことがいっぱいあるな」と感じたんですよ。同時に、ビジネスの力ってすごいなと思うようになりました。それで学生団体のアイデアをビジネスコンテストに出してみたら、応募した3つで全部優勝することができて。最後は全国大会でも評価していただきました。



3つ全部ですか…!



たまたまだと思っていますけど(笑)。でも、「これは何かが後押ししてくれているのかもしれない」と思えましたし、自分がやりたいことが、ビジネスとしても成り立つ可能性があると感じられた。それが最後の後押しにはなりましたね。
地域の外から、祭りの担い手を連れてくる。「渡り衆」という新しい形





現在の事業についても教えてください。正直、私は取材前まで「祭りをビジネスにする」という発想自体があまりなかったんですよ。



今は「渡り衆」というサービスを軸にしています。「渡り鳥」から取った名前なんですけど、地域を巡る、祭りの担い手という意味です。その土地の人ではないけれど、いろいろな地域を回りながら祭りに参加する人たちを増やしたいと思っています。



地元の人だけで何とかするのではなく、外から参加する人を担い手にする。



はい。これまでビジネスにならないと思われていたような、地域の小さな祭りも含めてデータベース化しています。一方で、「祭りに参加してみたい」「地域へ行ってみたい」という人にも登録してもらう。それをオンライン上でつないで、参加したい祭りを選んでもらうような仕組みです。



見るだけではなくて、本当に祭りの中に入るんですね。



そうです。担い手として参加したり、おみこしを担いだり。観光の一つの形になってもいいと思っています。



それって、収益としてはどう成り立っているんでしょう?



大きく三つあります。一つは、参加する方から体験料をいただくケース。二つ目は自治体さんから委託を受けて、地域の祭りでこの仕組みを導入するケースです。もう一つが企業さんからの協賛ですね。



企業協賛って、大きな花火大会などではイメージできますけど、小さな祭りでもできるんですか?



一つひとつの小さな祭りだと、なかなか企業協賛は成立しづらいんです。なので、複数の祭りを束にします。「一つの祭りを応援しています」ではなく、「この地域全体の祭りを応援しています」と企業さんに見せられるようにする。そうすると、小さな祭りでも企業との接点をつくれるんじゃないかと考えています。



なるほど…。一つでは小さくても、まとめることで企業にとっても応援する意味が生まれる。



そうですね。ほかにも、祭りのチラシやパンフレットを作ったり、公式Instagramを運営したり、情報発信のお手伝いもしています。地域の方だけでは手が回らないことを、若い人の力で補える部分はたくさんあると思っています。
「好き」を仕事にしたら、嫌になる日もある。それでも祭りに戻ってしまう





ここまで聞くと、片桐社長は本当に「好きなことを仕事にした人」ですよね。でも実際に仕事にしてみたら、ずっと楽しいだけではなかったりしませんか?



しんどいことの方が多いですし、嫌なこともいっぱいあります(笑)。



やっぱりそうなんですね。祭りそのものまで嫌になりそうなことはないですか?



ありますよ。祭りの仕事が嫌になりすぎて、仕事を放棄して、プライベートで0泊3日の祭り旅に出ることもあります(笑)。



0泊3日…!逃げる先も祭りなんですね(笑)。



そうなんですよ(笑)。ただ、仕事として祭りに関わるときと、そうではないときを分けるようにしたら、だいぶ健全になった気がします。



それくらい、仕事になってもなお「好き」は残っているんですね。では今後、会社をどこまで大きくしたい、という目標はありますか?



実は、私はあまりお金や権力に興味がなくて(笑)。「会社をこの規模まで成長させたい」という明確な目標は、あまりないんです。ただ、細くてもいいから、会社をずっと続けたいと思っています。もう頼ってくださっている地域の方がいるので、会社がなくなることで、なくなってしまう祭りもあると思うんです。そこには責任を感じています。



大きくすることより、なくさないこと。



そうですね。それと、全国各地のおじいちゃん、おばあちゃんたちから、「困ったときは、あいつに電話したら何とかなるよ」と言ってもらえるような会社になりたいです。困ったときにパッと顔が浮かんで、頼ってもらえる会社。そのためには、日頃から信頼関係をつくることが大事だと思っています。



高校時代、当たり前にあった祭りが消え、大学受験が思うようにいかず立ち止まった時期にも、片桐社長を再び動かしたのは祭りでした。そこから学生団体を立ち上げ、各地の祭りと向き合う中で知ったのは、「いつか」では間に合わない現実。自分が十分な経験を積むまで待つのではなく、今できることから始める。その先に生まれたのが、「渡り衆」という仕組みです。好きなことを仕事にすれば、楽しいことだけではありません。それでも、疲れたときにまた祭りへ行く。仕事にしてもなお、戻りたくなるくらい好きなものがある。その「好き」を、なくなりかけている誰かの大切なものを守る力へ変えていく。片桐社長のお話からは、自分が本当に心を動かされるものを見つけ、まず動いてみることの強さが伝わってきました。片桐社長、本日は貴重なお話をありがとうございました。



