「ああ、心配かけてるな」と思った25歳。with.株式会社・西田社長が、フリーターから経営者になるまで

大学を卒業したものの、就職活動で2社に落ち、そのまま学生時代から続けていたアルバイト先でフリーターに。

働く日もあれば、オンラインゲームに没頭し、週に2回ほどしかアルバイトへ行かない時期もあった…。そんな西田佳宏社長が動き出したのは、25歳の時でした。

実家のテーブルに置かれていた合同説明会の案内を見て、「親に心配をかけているな」と感じたことをきっかけに、初めて正社員として働く道へ。

そこから機械設計の仕事、リーマンショック、転職、副業、フリーランスを経て独立。現在はwith.株式会社の代表取締役として、キャリア支援や美容サロン、イベントなど複数の事業を展開しています。

「人生は、誰と一緒にいるかで決まると思っているんです」

遠回りにも見えるキャリアの中で、西田社長が何を考え、どのように今の働き方へたどり着いたのか。詳しくお話を伺いました。

お話を伺った人

with.株式会社

代表取締役 西田 佳宏

関西大学卒業後、学生時代から続けていたアルバイト先でフリーターとして働く。25歳で初めて正社員となり、半導体製造装置や船舶用エンジンなどの機械設計に従事。その後、副業を経てフリーランスとして独立し、2020年にwith.株式会社を設立。現在はキャリア支援、美容サロン、イベント企画など複数の事業を展開。

目次

就活で2社落ちて、そのままフリーターになった

編集部

西田社長は大学卒業後、すぐに会社員になったわけではなかったんですよね。どんなところからキャリアが始まったんですか?

西田社長

一応、企業には入りたかったので就職活動はしたんです。でも当時は面接がすごく苦手で、人と話すこともあまり得意ではありませんでした。2社受けて2社とも落ちて、「もう無理やな」と思ってしまって。そのまま学生時代から働いていたアルバイト先でフリーターになりました。

編集部

2社で就活自体をやめてしまったんですね。

西田社長

そうですね。本当に何も準備せずに受けていましたし、その会社にどうしても入りたいというところまで考えていなかったんだと思います。

編集部

アルバイトはどんな仕事だったんですか?

西田社長

居酒屋です。基本は調理場でしたね。学生時代から4年くらい働いていたので、お店を開けたり閉めたりすることもあって、一人でもある程度回せるような状態でした。でも、当時オンラインゲームが流行り始めた頃で、一度ハマるとバイトにも行かなくなって(笑)。実家暮らしで生活費もそんなにかからなかったので、週2回、5時間くらいしか働かずに、ずっと家でゲームをしていた時期もありました。

編集部

1日中ゲームですか。その生活をしながらも、内心焦るみたいな感覚はあったんですか?

西田社長

ありました。「いつかはどこかでちゃんと働かないといけない」とは思っていたんです。

実家のテーブルに置かれていた一枚が、25歳で動くきっかけに

編集部

そこから25歳で正社員になろうと決めたのは、何かきっかけがあったんですか?

西田社長

ある日、実家に帰った時、テーブルの上に企業の合同説明会の新聞の切り抜きが置いてあったんですよ。たぶん親が見つけて、心配して置いてくれていたんだと思いますけど。

編集部

何も直接言わずに、そっと置いてあったんですね。

西田社長

そうですね。それを見て、「ああ、心配かけてるな」と思って。じゃあ一回行ってみようかな、というのがきっかけでした。

編集部

その説明会で、実際に入社する会社と出会ったんですか?

西田社長

はい。そこで出会った会社の人事担当の方が、本当に素敵な方だったんです。「こういう人と一緒に働けたらいいな」と思って入社しました。

編集部

その初めての正社員生活は、どんな仕事から始まったんでしょう?

西田社長

正社員として雇用されて、企業へ派遣されるという形態だったんですけど、研修を受けた後に東京の半導体製造装置を設計している会社へ行くことになって。大阪の実家を出て、東京で初めての一人暮らしも始めつつ、そこで機械設計を一から教えていただきました。

編集部

おぉ…!ご実家を出られて一人での生活が始まったんですね。

西田社長

そうです。一人暮らし用の布団や家電を親に買ってもらって、25歳にもなって情けないな、という気持ちがありました。家を出るまでは本当に貯金もしていなくて、アルバイト代もパチンコやスロットに使っていたんですけど、親元を離れた後は、さすがに貯金をするようになりましたね(笑)。

「経営者」という選択肢を考え始めた

編集部

最初の会社では、機械設計をどれくらい経験したんですか?

西田社長

丸2年くらいですね。その後にリーマンショックがあって、派遣先との契約が終了しました。それで大阪の本社へ戻ることになったんですが、仕事があったわけではなく、ずっと待機していました。

編集部

待機、ですか?

西田社長

給料は出るんですけど、派遣先もなければ本社でやらないといけない仕事もなく、出社しても特にやることがないんですよ。

編集部

なるほど…。それはそれで、つらいですね…。

西田社長

設計の仕事でもっとキャリアを積みたかったですし、このままでは嫌だなと思って、リーマンショックの真っただ中で転職しましたね。

編集部

でも、待機してれば給料はもらえたわけじゃないですか。転職せずにそのままでいる選択肢もありましたよね?

西田社長

そうですね。確かにそういう同期もいました。でも僕はやっぱり、キャリアアップしたい気持ちのほうが強かったんでしょうね。なのでその後、プラスチック樹脂の温度調節器を設計する会社へ転職したんですけど、その頃から「経営者という生き方もあるんだな」と思って、経営について勉強し始めたんです。

編集部

キャリアアップと、経営の勉強も。働きながら、もう独立を意識し始めていたんですね。

西田社長

そうなんです。ただ、その会社が土曜日も出勤したり、残業も多かったりして、かなり忙しかったんですよ。なので、もう少し経営の勉強に時間を使える職場にしたいと思って、次は船のエンジン設計の仕事へ移りました。

編集部

そこでは、どのくらい働いたんですか?

西田社長

5年くらいですけど、そこにいる時からダブルワークをしていましたね。先輩の経営者の方から「好きなことで勝負するより、うまくいくものを選んだ方がいい」と言われて、売上を立てやすい事業を教えてもらったんです。それを会社員をしながら始めて、フリーランスになっても食べていける目処が立ったので、独立したという流れです。

好きな機械設計ではなく、「うまくいくもの」で事業をつくる

編集部

現在は、機械設計とはかなり違う事業をされていますよね。どんな事業が中心なのか、具体的に教えてもらえますか?

西田社長

そうですね。今は機械設計は全くやっていません。好きですし、自分にも向いているとは思うんですけど、売上が立ってうまくいくかどうかという観点では、機械設計にこだわる必要はないと思っていて。今、比重が大きいのは美容サロンとキャリア支援ですね。他にもイベント企画など、いろいろやっています。

編集部

これだけ違う事業をやっていると、西田社長自身が全部の現場に入るのは難しそうですね。

西田社長

そうですね。今はほとんど任せています。僕が直接業務に入ることは少なくて、重要な意思決定をすることが多いですね。

編集部

となると、一緒に動いてくれるメンバーの存在がかなり大きそうですね。

西田社長

大きいですね。みんな本当に優秀なので、スタッフとミーティングしている時が一番面白いです。

編集部

そこまで信頼できる方たちは、どうやって集まってきたんですか?

西田社長

紹介が多いですね。弊社は社員というより業務委託の方が多いんです。でも、コミュニケーションは大事にしています。みんなで飲みに行くことも普通にありますよ。

編集部

ちなみに、今後も社員を増やしていくというより、今のような業務委託のスタイルを続けていきたい方針でしょうか?

西田社長

僕自身、会社員ではなく経営者になりたいと思って独立したので、自分がやりたくなかった働き方を人にさせたいとはあまり思っていないんですよね。それより、これから独立したい、売上を立てていきたい人を応援したい気持ちのほうが強いです。

人生って、誰と一緒にいるかで決まると思うんです

編集部

取材前に拝見したんですけど、美容サロンの事業では、いろいろな事業者さんが出店する体験型イベント(With Beauty Carnival)も開催されているんですよね。これは、どういうきっかけで始めたんですか?

西田社長

最初は美容サロン事業の売上をどう上げるか考えて、お客様と接点をつくるために始めたんです。ただ、実際にやってみると、美容に関心のある方を集めるというより、出店される方たちとのつながりが増えていきました。

編集部

始めた時とは、少し違う広がり方をしたんですね。

西田社長

そうですね。出店される方も同じように売上について悩んでいることが多かったので、それならみんなが売上をつくれる場所にしたいなと。続けていくうちに、かなり大きなイベントになりました。

編集部

お話を聞いていると、西田社長のキャリアには、人との出会いが何度も出てきますね。

西田社長

本当に周りの人には恵まれてきたと思います。人に助けていただきましたし、それは今もそうですね。会社員だった頃は、どうしてもネガティブな話や愚痴を聞くことも多かったんですけど、今は「どうやったら売上を上げられるかな」と考えている人たちに囲まれている。それがすごく嬉しくて、楽しいんですよね。

編集部

今のチームは、西田社長にとってかなり居心地がいいんですね。

西田社長

はい。結局、人生って、誰と一緒にいるかで決まると思うんです。「この人と一緒にいたいな」と思える人と仕事ができたら、本当に幸せですよね。

編集部

会社名の「with.」にも、そういう想いが入っているんですか?

西田社長

そうですね。せっかくのご縁で知り合った方とは、ずっと一緒にいられたらいいなと思って「with」にしました。最後にピリオドをつけているのも、最後まで一緒にできたらいいな、という意味ですね。

編集部

大学卒業後にフリーターとなり、オンラインゲームに没頭していた時期もあった西田社長。25歳で実家のテーブルに置かれた合同説明会の案内を見て動き出し、正社員、機械設計、転職、副業、フリーランスを経て、現在は経営者として複数の事業を手がけています。最初から将来の道筋が見えていたわけではありません。それでも、目の前のきっかけに対して動き、人と出会い、そのつながりを次へ広げてきました。「誰と一緒にいるかで、人生は決まると思っている」その言葉からは、人との関わりの中でキャリアを育ててきた西田社長の歩みが伝わってきます。今、将来が見えず立ち止まっている人も、答えがなくてもまずは動いてみることで、新しい人や仕事との出会いが始まることがあるかもしれません。西田社長、本日は貴重なお話をありがとうございました。

目次